Now Loading...

連載読みもの

どこにでもあるどこかになる前に。 〜富山見聞逡巡記〜

2

失われた「寂しい富山」

2017年9月25日 公開

2017年夏、富山を代表する総合機器メーカー「不二越」が、本社を富山から東京に移転することを発表した。その会見の際に同社会長が、東京に移転する理由として「優秀な人材の発掘」を挙げ、「富山県は閉鎖的」「富山県民は極力採用しない」と県民の髪が逆立つ発言をしたことで、全国規模のニュースとなった。

不二越は祖父が勤めていた会社だった。戦後復興から、グローバル企業へと不二越が躍進した「ベアリング」開発に携わったのが祖父だった。かたや天皇陛下から勲章までもらった祖父が独立して興した工場を、ゆっくりと、確かな歩みで傾かせたのが父だ。

不二越は1928年の創業以来、90年間にわたって富山の地場産業を支え、病院や工業高校を作って地域に貢献してきた。駅名や町名にまでその名が冠されるほど地域密着型だった企業のトップが、「富山なんて大嫌い!」と言い放ったことは、県民に大きな衝撃を与えた。就職差別ともいえる問題発言は言語道断だが、「富山は閉鎖的」の指摘に関しては、私は「間違っている」と思わなかった。富山とは本来、閉鎖性を抱えた場所であり、そこから生まれる魅力もあるからだ。

2008年、29歳になる年に東京から富山に戻った私は、ほどなくして「ピストン藤井」というふざけた名で富山の珍奇なるスポット=珍スポを発掘し、それをまとめたミニコミを自費出版するようになった。両親や既婚者の同級生からは「結婚もしないで、珍スポ探して何の意味がある?」と心配されたり、怒られたり、呆れられたりしたが、「特に意味はない」と答え続けた。でも本当は違った。

珍スポを探し始め、酒場に繰り出すようになってから、いろんな人たちと知り合いになった。私自身が勝手に抱いていた「実直で勤勉」という県民性のイメージを、ズズズッーとことごとく横滑りしていくような、アクの強い人たちばかりと出会った。

「富山ちゃ、な~んもないちゃ」と自虐的に謙遜するくせに、「本当に何もないですね」と観光客が言えば、「立山も魚もあるわい!」と逆ギレする。家を建てて子供を育てるのが至上命題で、そのレールから外れた人を白い目で見る。困っている人をスルーできるほど非情ではないけど、そいつが自分以上に飛躍したら杭は打つし、酒場ではえげつない悪口が飛び交う。東京への憧れは根強くあるが、東京風を吹かしているスカした奴にはとことん冷たい。

懐の狭い、面倒くさい人種である。私にとっては、それが面白くて仕方がなかった。この人たちは、ここでしか出会えない。東京にもどこにもいない。私はこの場所で悪態つきながら生きる人たちを、この場所で書いていきたいと強く思った。

しかし北陸新幹線が開業した現在、コンパクトシティとして世界に向けて発信するようになったことで、富山は表面上「開かされ」てしまった。中心市街地の再開発はさらに進み、図書館とガラス美術館を併設した「TOYAMAキラリ」や、大手シネコン「J-MAX THEATER とやま」が建設された。富山駅構内には工芸ガラスがラグジュアリーに彩られ、コンパクトシティの象徴であるライトレールが通る。

「うぃ~っく!」と酩酊状態で麺をかみちぎったラーメンの屋台は姿を消し、代わりに美しいカーブを描く広いロータリーが設置された。何の変哲もないロールサンドがごく当たり前に美味かったスタンドカフェも撤去され、ホームに点在していた県民のソウルフード「立山そば」は、立ち食いではなくなり駅横の店舗にひとまとめになった。

かつて父がポツンと佇んでいた「寂しい富山」は、いまの富山駅にはない。富山駅構内だけでなく駅前の風景も、かつての面影はない。半世紀近く鎮座していた「駅前シネマ食堂街」と「富劇食堂街」は、“老朽化”という大義名分で心中を遂げ、新たに専門学校とホテルが建設中だ。

ポルノ劇場の猥雑な残り香と、ゲロと、ションベン臭さが漂う酔狂客の聖地は、めでたく無味無臭化されたのだった。上司、取引先、女房、旦那への罵詈雑言で燻された、「ホタルイカの素干し」や「ゆべし」はもう味わうことができない。閉鎖的だからこそ培った富山の「えぐみ」は、画一化の一途を辿っていた。ヒアルロン酸を注入した顔がだいたいのっぺらぼう化するのと同じく、ご当地B級グルメがだいたい卵でとじてあるのと同じく、ここはどこにでもあるどこかになっていく。

北陸新幹線を歓迎していないわけではない。かつて3時間半近く要した富山―東京間は、越後湯沢駅を経由することなく2時間半未満となった。私自身もちゃっかりと東京へと飲めや歌えやしに行っているし、県外の友人も富山へ来てくれるようになった。すべてはセンチメンタルな思い出にすぎない。新幹線が通ろうが、駅前の食堂街がなくなろうが、町の風景が平たくなろうが、不二越の会長が暴言を吐こうが、「あいつ、ダラ(バカ)やのぉ~」とひとまず嘆けば関心を失う。私たち県民の日常に大した影響はないのだから。

だがフト、昨年の冬に遭遇した出来事を思い出した。東京の宴から新幹線で富山駅へ戻ってきた時のこと。駅構内では市民グループによるクラリネット演奏会が催されていたようだった。世の中はクリスマス・シーズンで、聞き覚えのあるクリスマス・ソングが流れていたが、私が自動改札口を抜けた瞬間、それは突然始まった。

「ポッポッポーポポッ、ポーポー」
こ、これは……。
「ポッポッポーポポッ、ポーポー」
もしや……。
「ポポポポッ! ポポポッ!」

それはスナックのカラオケでお馴染み「男と女のラブゲーム」だった。私は思いっきり「ブーッ!」と噴き出した。エレガントな駅構内に漂うズッコケた場末感。「♪ポポポポポーポーポー」(飲みすぎたのは~)に対し、「ホイ、ホイ、ホイ」(あなたのせいよ~)と始まる手拍子。ああ……侘しい。なぜにそのチョイス?

でもこれこそ私が恋い焦がれていた「寂しい富山」だ。きらびやかさと哀愁の相容れなさ。これでいい。これがいい! 私の愛する故郷はこんな風に侘しくて、素っ頓狂で、珍奇で、毒々しくて、美しくてグチャグチャのはずだもの。胸が締め付けられた。

30手前で始まった富山ライフ第二幕では、富山の保守性が次々と私の前に立ちはだかった。煮しめたような価値観に違和感を抱きつつも、しかしそれらを一律、上からコンクリートをぶっかけてなかったことにするのが、この地が目指すべき「脱・閉鎖性」だとは思わない。

この地の凸凹をなぞり、チグハグを浮き彫りにする作業を私はやるべきではないのだろうか。たとえコンクリートをかけられようとも、狭間からぐんぐん顔を出してくる「ど根性大根」のような富山を見つけたい。いいも悪いも何もかもが、等しくフラットにされてしまう前に。

 

 

※この連載は毎月第2、第4月曜日に掲載します。

写真(バナー&文中/07年当時の富山駅):「駅への旅・駅からの旅」

(つづく)