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連載読みもの

どこにでもあるどこかになる前に。 〜富山見聞逡巡記〜

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雑誌づくりは発酵中

2017年12月25日 公開

『BRUTUS』『POPEYE』『Olive』……実家の私の部屋には、思春期を彩ったライフスタイル、カルチャー誌たちがいまも堆積している。

中高生の私は、『キネマ旬報』『ロッキング・オン』といった専門誌を熟読する一方で『Olive』に熱狂した。インターネットもない時代、地方に生きる高校生の私にとって、流行りのファッションや渋谷系音楽、単館系映画の情報源は雑誌だった。特に『Olive』はロンドンのストリートスナップ、フレンチ・ポップ、ボーダーTといった“向こう側”のキラキラした世界観の中に、「げ〜っぷ」と酒の匂いが誌面から充満してくるような泥臭い中島らも(および劇団「リリパットアーミー」)のコラムが同居しており、「この振り幅こそが真の洗練だ!」と思ったものだった。そういう雑多な世界に憧れた私が、田舎から都会へ出ることを選択したのは自然な流れだった。

東京から富山に戻り、地元のフリーペーパーに携わることになった私は、自分の部屋にこもって富山の媒体の何が問題なのかを研究すべく、東京から持って帰ってきたまま放置されていた雑誌の束を開封した。そこには様々な“ていねいな暮らし”系雑誌が山積みされていた。

時は2008年。私の思春期から少なくとも10年は過ぎ、若者の好奇心にリーチするプラットフォームだった雑誌が、ネットにその役割をすっかり奪われていた。私の愛する『Olive』も2003年にすでに休刊していた。バブル時代も遠くなり、目指すべき「おしゃれなライフスタイル」自体が消費中心の生活から“スローライフ”へと移行するなか、日常の暮らしを慈しむというテーマを謳った新世代の“ていねいな暮らし”系雑誌が次々と創刊されていた。読者層は老舗の『暮しの手帖』よりも若年層向けで、散々消費文化を煽ったのが雑誌なら、消費文化に疲弊した人々を救い上げたのもまた雑誌であった。

生粋のミーハー人間である私は、まんまとその策にはまった。まだ東京に居た頃の2000年代半ばから、スローライフ、ロハス、田舎暮らしをテーマにした雑誌を読みあさるようになった。「シャレオツなヨーロッパの最新家具、揃えたい!」という欲求から、それまで気にも留めなかった実家に放置されたままのオカンの嫁入り道具を、急に「きゃわいい!」と愛で始めたのだ。「アンタ、いつからそんなん好きになったが?」と、どっかからツッコミが聞こえてきそうなものだ。

地方を紹介するフリーペーパーでも“ていねいな暮らし系”が誕生しはじめた。なかにはわざわざ自分で取り寄せてまで、熱心に読んだものもあった。その冊子は地元の食文化や地元民が通う大衆食堂、酒屋の一角で立ち飲みをする「角打ち」などを取り上げていた。地方に埋もれた素材を、東京の第一線で活躍しているスタッフが取材を重ね、丹念に掘り下げて作られているようだった。作り手が“よそ者”であるという、敢えて俯瞰的な立場から地方の土着的な魅力を探る視点はユニークで、一過性の流行で終わらない暮らしの中に根付く“ホンモノ”を発掘しているように感じた。あっちもこっちもと上っ面の情報をついばむことに躍起になるよりも、その場にじっと立って足元の地面を見つめるタイミングが来たのだと思った。その流れは、私が東京から富山へと帰ろうとする気持ちを後押しするものでもあった。

東京時代に夢中になったそれらの冊子を読み返し、富山のフリーペーパーに足りないものは、自分たち独自のユニークさを見直す客観性だと再認識した。中央の雑誌をまるごと模倣したかのような現行のパッケージを見るにつけ、たとえその中に出てくる文言が「富山」から「新潟」「金沢」「福井」になったとしても、誰も気づかないのじゃないかと思った。それは果たして、“地域密着型フリーペーパー”と言えるのだろうか。富山の日常に転がっている希少なもの、閉じた中にいては見落としてしまうものをすくいあげようとする客観性なくしては、その土地でしか紡ぐことができない“物語”の真の価値を発見することはできない……!

『ロッキー』ばりに拳を高く突き挙げ「突破口キターー!」と、誇らしい気分になった私は、リサーチがてら小学校時代からの幼馴染を呼び出した。

「富山のカマボコって渦巻状でしょ? あれって東京だと珍しいんよ。いろんなメーカーの渦巻カマボコを取り寄せて、誌面で並べたらフォトジェニックだし面白いと思うんだよね! ラーメンの中にチャーシューじゃなくてカマボコが入っててさ……」

「富山県民は自分たちが住む郷土の魅力に気づけていない」と、富山生まれ、富山育ちの地元民に頭ごなしの説法を始め、富山名産である渦巻状カマボコについて、てんで思い入れもないくせに熱弁を振るう私だったが、帰郷して半年も経ってない都落ち女に、一方的にまくしたてられた友人が憮然とした表情でこう言った。

「ってかさ、カマボコが渦巻ってことは、うちらもう知っとるし。“だから何なん?”って感じやけど。そんなことより、美味しいランチが安く食べられるお店とか、子供を連れて行けるカフェとかの情報の方がよっぽど知りたいんだけど」

思わず「えっ、マジで?」と声が出た。不意に背後から膝カックンされたかのようだった。いや、待て。そうだ、呼び出した相手が間違っていたのだ。思い起こせば彼女と私は小学校時代から趣味嗜好がまったく違っていた。「岡田あーみん」の漫画が好きという共通項はあったが、同じ発酵食品でも彼女はカスピ海ヨーグルト、私はタクアンを好むような歴然とした方向性の違いがあった。カスピ海側の人間からしたら、タクアン並べられても「で?」だろうしその逆もしかりだ。しかしタクアン側の私が、これからフリーペーパーで対峙しなければならない相手は、読者層では多数派であろうカスピ海側の人間である。いや、そもそも、タクアン側の私にしたって、渦巻カマボコを並べられて「さあこれが富山の土着だ! 食え!」と言われて喜ぶのだろうか。事実、職場のパートさんたちの「里芋の煮っころがし」トークにうんざりしていたのは、この私自身じゃないか。タクアンか、ヨーグルトかの自問自答タイムは発酵しないまま幕を閉じた。

地元民が見落としてきた地元の魅力を発掘すると言うが、じゃあ地元民が何に気づいていて、何に気づいていないのかをお前は正しく把握してるのか。何よりも彼女にそう責め立てられたようで、冷や水をぶっかけられた気分だった。私にはそこで暮らす人々のリアリティが、圧倒的に欠落していた。

私の部屋に積まれたスローライフ系雑誌の誌面を開けば、目に飛び込んでくるのは自然光で撮影された写真の数々。その上には味のあるフォントが踊る。隈なく読めば、それぞれ地域のアプローチの仕方に差異はあるが、ページの印象だけだとどれがどの地域の雑誌なのかよく分からない。私がユニークだと思っていた切り口も、とっくにフォーマットが出来上がり、画一化されていた。

そのことに気づき始めると、私がかつて憧れた雑誌の“ほっこり”雰囲気の下に通底する「田舎ってこうでしょ」という紋切り型のイメージ、「地方はこうであってほしい」という願望にだんだん違和感を抱くようになってきた。もちろん“よそ者”だからこそ、中の閉塞感を外から壊せる可能性は十分にある。でもそれはいとも簡単に、“暴力”に転じてしまう危険性もある。地方を外から見るだけでなく、中央にいる自分たち自身をも外から俯瞰的に見ることこそが“真の洗練”というものであり、都会の枠組みのなかにいたままで地方を見るというだけでは“上から目線”になりうるのだ。

岐阜と富山の境目に位置する、雪深い“ザ・田舎”な五箇山(ごかやま)に出向いた時、そこのおばあちゃんが住む古民家のトイレが、うちの実家よりもハイスペックなウォシュレットだった。そしておもてなしの料理には、イノシシのすまし汁の横にファストフード店のチキンが並んでいた。そのことに「イメージと違う……」とガッカリしたあの時の自分自身を、五箇山名酒「三笑楽(さんしょうらく)」の一升瓶で殴りたくなった。

私が掲げる富山独自の土着的魅力というものは、中央が築き上げたステレオタイプの“ていねいな暮らし”に過ぎず、そこには富山で暮らす人たちの影は見えない。“消費文化”とは真逆をいくような“ていねいな暮らし”もまた、中央によって、地方独自の魅力をスポイルしていくものだった。富山のフリーペーパーを東京のオシャレ情報誌の模倣だと散々、こき下ろしていた私自身が、東京で創られた“ていねいな暮らし系雑誌”を目指していたのだった。それは中央の人が作った “田舎じるし”のラベルが貼られたパッケージの上に、田舎に住む私自身が、さらに上からペタペタと同じラベルを貼り直していくようなものだった。

それは、ものすごい速度で地方都市の多くが“全国共通フォーマット”に侵略されていくのとどこか似ていると思った。では画一化の波に抵抗できる富山の魅力とは何か、私自身が「うっひょーい!富山おもろっ!」と心躍る瞬間は何なのか。

薪を組んだ暖炉の前で、チクチクとマフラーを手編みするおばあちゃん。私はその皺だらけの手元だけでなく、そのばあさんの服装が全身ユニクロだったりするという全体像も見たい。ナポリタンが人気の「この道40年」の老舗喫茶が、実はナポリタンだけがうまくて、その他のメニューが異常にマズイ、という特異性にツッコミたい。「変わらず、昔ながらの中華そばを提供してます」と紹介された食堂の大将が、中華そばをオーダーする客に「うちには“支那そば”はあっても、“中華そば”なんちゅーもんないが! 帰れ!」と激高するという、呼称にこだわるあまりに顔を出してしまった、無自覚の差別意識が気になって仕方がない。70過ぎのお母さんがひとりで営む、壁紙が煙で茶色く燻されたお好み焼き屋。その隠れメニューがラーメンで、スープにはさんざん味の素をぶっかけまくっているという、ほっこりしない事実が実は面白い。それらの、なかったことにされてきたものの中にこそ、ここでしか紡ぐことができない物語が隠されているのではないのだろうか。

“ほっこり”部分だけではない、富山のアクの強い“えぐみ”をもっと探りたい。私の脳みその奥の方から怪しい光が灯り始めていた。

 

※この連載は毎月第2、第4月曜日に掲載します

(2018年1月はお休みします。次回は2月12日月曜日よりスタート!鋭意取材中です!!!)

 

写真(バナー/07年当時の富山駅:「駅への旅・駅からの旅」/文中:著者)

(つづく)