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連載読みもの

どこにでもあるどこかになる前に。 〜富山見聞逡巡記〜

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「富山、めっちゃおもしろいから」

2018年2月12日 公開

「藤井、あんまり東京に遊びに来なくなったよね」と元同僚に言われたのはいつのことだったろう。富山に戻ってきてから一年ぐらいまでは、二カ月に一度ぐらいの頻度で東京に出向き、新宿三丁目のなじみの酒場で、編プロ時代の仲間たちを相手にクダを巻きに巻いていたが、2009年後半あたりからパッタリ行かなくなった。薬局の仕事に慣れ、副業のライター仕事も忙しくなったこともあるが、「知ってる」東京の懐かしさを吸い込みにいくことよりも、「知らない」富山の珍妙さとの遭遇の方が俄然、面白くなったからだった。それは旧友、コンちゃんとの再会によってもたらされたものだった。

中学時代、同級生だったコンちゃんとは、音楽の趣味と笑いのツボが合致した。土曜日の午後、学校から帰ると、簡素なコンテナが連なっただけの近所のカラオケボックスに集合し、フリッパーズ・ギター、小沢健二、フィッシュマンズ、L⇔Rといった、当時大まかに「渋谷系」でくくられていた曲を歌いまくった。コンちゃんはキーを度外視に「♪ぼげぇ~」とうっとりした表情で歌う私にたじろぐことなく、いつも完璧なハモリをかぶせてくるような子だった。たまに背伸びして西町や総曲輪といった街なか(富山市では、繁華街である西町や総曲輪を単に「街なか」と呼ぶ)に繰り出した時は、オシャレな中高生が通うアメカジ系の古着屋ではなく、オバちゃんたちがひしめき合う狭いリサイクルショップへ向かった。レトロというより、単に経年劣化した誰かのタンスの肥やしだった服に目を輝かせ、どっちがクタクタのシャツを発掘するかに熱を注いだ。私にサブカルの英才教育を施したのが兄なら、それらを共有する楽しみを与えてくれたのがコンちゃんだった。

10年ぶりに再会したコンちゃんは、まったく変わっていなかった。私がこの10年で15キロ分の肉襦袢と鬱憤をまとったアラサーになっているというのに、コンちゃんの雰囲気はあの頃のままで「さ~とち~ん!!」とカラッとした笑顔で現れた。コンちゃんは地元の高校を卒業した後に看護学校へ進み、市立病院の激務をこなす立派な看護師さんになっていた。私たちは居酒屋で10年分の近況をざっくり報告し合ったが、そんなことよりも、私はコンちゃんの「富山での休日の過ごし方」講座にグイグイと惹きつけられ、前のめりになって拝聴した。

私が地元の友達から聞いた休日の過ごし方は、富山市郊外にある「ファボーレ」や県西部の「イオン」といった複合型商業施設に行くというのが鉄板だった。そこに行きさえすれば、スーパーも無印良品もユニクロも映画館もゲーセンもあって、すべてが事足りるのだという。ブランド品を買いに隣県の金沢まで行くというパターンもあったが、どっちにしろ「富山らしさゼロだな」と思うような内容ばかりだった。しかし駐車場が広くて無料、子供たちも遊べるスペースがあるという複合型商業施設は、車社会の地方で生きる家族連れにはなくてはならない遊び場なのだろうとも思った。選択肢がないのだ。ってか富山らしい遊び方ってなによ。毎週末、富山駅から3時間以上かけて、大人往復13000円近くの交通費を払ってフラッと黒部ダムに行けるか、行けねーわ。春になれば産卵期に真夜中の浅瀬に上がってくるホタルイカをすくいに、タモ網持って日本海を夜な夜な徘徊するガッツはあるのか。少なくとも私にはない。

コンちゃんの話はそんな内容ではなかった。昔ながらの銭湯が大好きな彼女は、休みごとに銭湯を開拓していた。とある銭湯は赤色と青色の蛇口、どっちも熱湯しか出てこないだとか、とある銭湯には露天風呂があるのだが、鯉が泳ぐ池よりも小さくて客は鯉以下、そのうえ風呂に鯉が入ってくるだとか、おばちゃんたちが亀の子タワシで血しぶき噴き出る勢いで背中を洗い合っていた、ついでに私の背中まで洗いそうだったから怖くて逃げただとか。

「漁師町にある銭湯は、海に出てる漁師に合わせてるから湯がめっちゃ熱いがよ。入れんが!」

コンちゃんは女子向けフリーペーパーには載せられそうもない、「富山の銭湯あるある」をめいっぱい披露してくれた。実は、富山は人口10万人あたり8.04軒という全国第二位の銭湯数(2014年)を誇り、東京の銭湯経営者も富山や石川などの北陸出身者が7割以上を占める。黒部ダムに行かずとも、銭湯という全国有数の「富山らしさ」がそこかしこにあったのだ。そんなことはてんで知らなかった風呂嫌いの私は、自分の人生にビタ一文も影響を与えないであろう蘊蓄を笑って聞きながら、ここで生きてきた人にしかないセンスや斜め横からのものの見方を、コンちゃんは自然と体得してきたのだろうと羨ましく思った。

とはいえコンちゃんは、富山らしさがどうのこうのと考えていたわけではない。一度も県外に出たことのない生粋の富山県民である彼女は、私が抱いていたような東京への強い憧れもなく、かといって「都会よりも田舎の方が良い」といった頑固な郷土愛もないようだった。コンちゃんにあったのは、「次は山の方の銭湯に行ってみよう」「通勤時に見かける奇妙な店に今週末こそ入ろう」という地べたから湧き出る好奇心、それだけだった。

その頃の私は、ライターとして採用してもらった例の広告会社で、新しく金沢で創刊されるというフリーペーパーの特集記事を任されていた。富山でさえ発掘できていないというのに、もっと知らない隣県の金沢の「地元民が気づいていないほにゃらら」を探れという、ローカル誌の血の掟かと言わんばかりのお題に再び悩まされていた。しかも取材期間はわずか二日間。とりあえず日本三名園の「兼六園」じゃない方の庭、入館者数が全国トップレベルの「21世紀美術館」じゃない方の美術館という、“王道じゃない方”ばかりを紹介した挙句に、そこらへんの民家に干されていた素股のような大根を写真に収め、「これぞ暮らしに潜む珍アートだ!」とこじつけて、「金沢をイジる」という裏テーマをヘロヘロと不時着させた。「そうじゃない」という手応えしかなかった。オチだけを求めてやぶれかぶれに街を散策するなんて、あらかじめ「今からアナタの家の庭を荒らしにいきますよ~」と言ってるようなもので、なんという無法者なのだろうかと我ながら思った。

「金沢 B級 珍スポ」というネットの検索ワードに引っかかった場所を、とにかく一個ずつつぶしていく私の乱雑な面白がり方に対し、コンちゃんは「なんか転がってねーか」と食い気味に街を掘り起こそうとする気負いは皆無。一日の生活スケジュールの中でひょっこりと顔を出す“奇妙”にいちいちつまずいてしまい、たまに派手に転びながらも「あはは!」と嬉しそうに笑うのがコンちゃんだった。

「夜勤明けで疲れた身体を銭湯で癒そうと思っとるんに、いきなり知らないオバちゃんに亀の子タワシでゴシゴシ洗われそうになったら、そりゃあ逃げるしかないちゃよ~」というコンちゃんの銭湯体験談は、彼女が看護師として真っ当に生きているからこそ実感が伴って、より一層の可笑しみが加わっていた。

「地元のケーブルテレビって聡ちゃん見たことあるけ? 工場の映像とかを放送しとる番組あるんやけど、ベルトコンベアーに流れてくる乾パンをずーっと映しとるだけ。しかも一日何回も再放送しとるん。それをついボーっと見てしまうんよね。で、途中で“これさっきも見たやん!”って気づくが。地元の少年野球チームの試合とか合唱団の公演とかも放送しとるんやけど、この間、たまたまコーラスサークルでジャズ歌っとる職場の先輩見つけてテンション上がったわ」

コンちゃんは昨日、今日、明日へと続く道をテクテクと歩いている途中で、うっかり出会ってしまった、とりとめのない出来事を愛でていた。「今、生きているこの場所を、どこまで面白がれるか」ということを、コンちゃんは図らずも実践していたのだった。

ネット情報を頼りに無理やり飛び道具的なネタを探し出し、それが嘘か真かを確かめるだけに街へ繰り出すことよりも、何でもないような田んぼのあぜ道をコンちゃんと一緒に歩く方が楽しいのではないかと思えた。コンちゃんの日常のルーティンの中で、地続きとなって出てくる面白さの正体を私も真横で見てみたいと思い、「コンちゃん、今度どっか遊びにいかんけ?」と彼女にお願いした。するとコンちゃんは満面の笑みでこう言った。

「富山、めっちゃおもしろいから。聡ちゃんに教えてあげっから私にまかしとかれ!」

こうして、添乗員コンちゃんの高らかな宣言と共に、「チキチキ!富山探検ツアー」は始まった。それは、なにかと東京か富山かにとらわれていた私のチンケな二元論を、どやさどやさと痛快に蹴散らしていく体験となるのだった。

 

写真(バナー/07年当時の富山駅:「駅への旅・駅からの旅」/文中:著者)

(つづく)