第2回
温泉宿・古滝屋の原子力災害考証館
2023年9月1日 公開
風呂と原子力災害
JRいわき駅から東京方面に2駅。JR湯本駅のそばに東北屈指の温泉郷、いわき湯本温泉がある。ぼくの暮らす小名浜からなら車で15分。ぼくの母がこの湯本の出ということもあって心理的にも近い温泉だ。連載の名前は「小名浜ピープルズ」。地元の人は「湯本は湯本だろ!」と思うと思うけれど、自分の「ジモト」は必ずしも行政の考えた区域でなくていいはずだし、自分なりに拡張したり縮小したり、飛び地が生まれてもいいはずだよな、という思いもあって。それで大胆不敵にも、湯本温泉に手を伸ばしてみた、というところだ。
湯本の温泉に入ると一日中体がポカポカする。つまり、風呂のあとのビールがめちゃくちゃうまい。ぼくは、取材や打ち合わせの帰りに、しばしば湯本に立ち寄る。200円で入れる共同浴場で、地元のおっちゃんたちと一緒にひとっ風呂浴び、まだ汗が吹き出しているうちに車に乗り込む。夕焼け空を遠くに望み、風を感じながら小名浜へと車を走らせる。まだビールを飲む前なのに、ああ、いわきの暮らしはほんとうに最高だなあ、とそのたびに思う。
いわき市は、いまから50年と少し前、いわゆる「昭和の大合併」によって、14もの市町村が合併してできた。当時は日本一の面積を誇り、いわきイコール「広い」だった。東京23区の2倍ほどの面積、というと少し伝わりやすいだろうか。もっとも南にある勿来町(なこそまち)から、一番北にある久之浜町まで距離にして46キロ。これを東京駅からの距離に当てはめてみると、西に向かえば神奈川県の海老名、東に向かえば千葉県の佐倉あたりまで到達してしまう。市内の知り合いの家に行くのに1時間以上かかる、なんてこともよく起きる。
市の中心は、JRいわき駅がある「平(たいら)」地区だ。江戸時代には磐城平城が築かれ、あの戊辰戦争の舞台にもなった。城はそのときに焼失してしまったが、平は今なおいわきの経済と政治、文化の中心である。これに対し、観光の中心は、水族館「アクアマリンふくしま」を誇る我らが小名浜地区、そして「スパリゾートハワイアンズ」を擁する常磐地区である。それに加え、「勿来関(なこそのせき)」など平安時代から和歌に登場するほど古い歴史を持つ勿来地区、美しい海とサーフィンで知られる四倉や、蛙の詩で知られる詩人・草野心平の出身地で、自然の美しい小川など、市内の各地区にすばらしい地域と観光スポットが点在している。いわきを訪れることがあったら、ぜひ3泊くらいしてあちこちを見て回ってほしい。
宿をとるならおすすめしたいのが、先ほどのいわき湯本温泉だ。その歴史は古く、温泉街の中心にある「温泉神社」は、西暦927年にまとめられた全国の神社リスト「延喜式神名帳」にも名が記されている。つまり、西暦927年の時点で「温泉神社」の名でそこに存在していたことになる。当たり前に考えて、温泉は神社よりも長い歴史を持つはず。ゆうに1000年以上の歴史があるわけだ。
こんな伝説も伝わっている。二人の旅人が、佐波古(さはこ)(現在のいわき市湯本町三函)の里を訪れると、傷ついた鶴が舞い降りてきて、湯気の立ちのぼる泉に浸かり始めた。かわいそうに思った二人が傷口を洗い、手当てをしてあげると、鶴は元気を取り戻し、空に飛び立っていった。すると数日後、巻き物を持った高貴な女の人が里を訪ねてきた。巻き物には「この佐波古の御湯を二人で開いて天寿を全うし、子孫の繁栄をはかるべし」と記してあった。これを見た二人はこの地に留まり、佐波古(湯本)の温泉を開いたという。
ちなみに、この伝説から着想を得た「つるの足湯」というのが温泉街にある。源泉掛け流しで、しばらく足を突っ込んでいると冬場でも体がポカポカになる。湯本温泉の泉質は「含硫黄-ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉」とされる。複数の成分が混じりあった珍しい泉質で、美肌作用、解毒作用、末梢血管拡張作用、血圧低下作用、保温効果など数々の効能を併せ持つという。
温泉のお湯の源は、太平洋プレートとユーラシアプレートの摩擦熱で熱された海洋深層水である。かつてこの地が炭鉱で栄えた時代に掘ったトンネルの底を掘り、地下800メートルのところから汲み上げているそうだ。お湯は空気にほとんど触れることなくパイプを通ってそれぞれの宿まで供給されているので、地表の有害物質などの影響を受けない。つまりフレッシュでピュアな温泉なのだ。あの鶴の女神、やり手の温泉コンサルタントだったんじゃないか?
ホテルの日帰り温泉にもよく通っているので、なじみの宿もできた。「元禄彩雅宿 古滝屋(ふるたきや)」という、湯本温泉に数あるホテルのなかでもっとも古い歴史を持つホテルのひとつだ。当主の里見喜生(よしお)さんによれば、その歴史は少なく見積もっても300年以上。江戸時代から、湯治場として庶民の癒しの場になっていたそうだ。たしか、小学校1年生の時だったと思う。家族旅行で古滝屋に宿泊したのを覚えている。初めて体験する温泉宿での宿泊だった。豪華な食事。糊の効いた清潔な浴衣。ご機嫌な両親。古滝屋は、ぼくの家族の団欒の記憶と結びついている。
里見さんとは震災前に知り合った。里見さんは、震災前から「まちづくり」に精力的に動いてきた方だった。湯本温泉を中心に「いわきフラオンパク」という地域イベントが開催されたことがある。「オンパク」というのは、温泉街で行われる地域資源再発見のためのイベントで、「温泉泊覧会」の略称である(いわきの場合フラダンスの「フラ」もくっつく)。日本各地の温泉地でも開催されているのだが、里見さんはかつて、そのイベントの実行委員長だった。
小名浜に帰ってきて小さなイベントを企画していたぼくにも「リケンくん、なにかいっしょにおもしろいことをやろうよ」と声がかかり、関わりが生まれた。だからぼくにとっては、里見さんは「歴史ある温泉ホテルの当主」というより「まちづくりで世話になっている若旦那」だ。
会うといつも気さくに話しかけてくれ、「お風呂入りにおいでよ」と日帰り温泉のチケットをくれる。ぼくはこれを車に大切に保管しておき、家族に隠れて、いや休日に家族を連れてしばしば温泉に浸かりにゆく、というわけだ。
ホテルの6階にある「大黒湯」が男湯である(時間帯によっては女湯にもなる)。浴場の右側がぬる湯、左側にあつ湯。体を洗い、ぬる湯でサッと温まり、次にあつ湯にチェンジしてしばらく耐える。耐えきれなくなったら洗い場で水をかぶり、またあつ湯。仕上げにぬる湯でリラックスしたら、体を拭いて風呂から上がる。いつの間にか、そんなルーティンもできた。ロビーに里見さんがいるときは少しおしゃべりしていく。そうしてなんだかんだ、もう12、3年のおつきあいになっただろうか。