田尻久子『みぎわに立って』について
一部書店ではすでに発売していますが、多くの書店にならぶのは本日3月20日。
田尻久子『みぎわに立って』発売です。
とてもささやかな日常を書き留めたこの本の魅力をなんと伝えたらいいだろう、と考えていたとき、ふと思ったことを書きます。
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忙しいという字は、酷な字だ。なにせ、心を亡くす、と書く。しかし実際、多忙を理由にさまざまなことをカットしていった結果、思いやりをばっさり切り捨ててしまっていることは、あるだろう。私は、かなりある。
だけど忙しいんだから私だって大変なんだから仕方ないでしょう、このセリフを吐きながら、すでに後悔はもう目の前にチラついている。まんまと、相手を思う心をなくしている。
田尻久子という人は、かなりいそがしい日々を送っている。
田尻さんのカフェ兼本屋、熊本の橙書店には、田尻さんと田尻さんが選ぶ本に会いたくて、全国からお客さんが訪れる。
田尻さんは、お客さんとお喋りし、コーヒーを注いで、隣接するギャラリーで作家さんの展示を準備し、依頼された原稿を書き、おまけに雑誌まで編集してしまう。でもきっともっと他にもやっている。
しかし田尻さんは、とことん、心をなくさない。
この本は、いそがしかろうが地震が来ようが雨漏りがしようが、店を引っ越そうが何があっても凛として断固として決然と、心をなくさなかった人が、心をかけた人や動物や虫や景色の断片を、忘れてしまわないよう書き留めた記録だ。
明日やることを忘れないように書き留めるメモではなく、過ぎ去ってしまう時間を忘れないように書き留めたメモ。それは、果てしなく深く、強い思いやりという意志のたまもの。
だから、いそがしいときには読まない方がいいかもしれない。
でも、心をなくしていた、と、ハタと後悔した夜に読むと、ごくごく水を飲むように渇きを満たしてくれるはずだ。そしてその効果は、何度も繰り返し有効なのである。