第2回 後編
赤坂憲雄×旗野秀人×小森はるか「福島に生きる」は可能か。
2018年11月16日 公開
「不在」のなか考え、想像し続けることから生まれた本と映画
清田 赤坂さん、旗野さん、小森さん、どうもありがとうございました。2016年3月に『日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家佐藤真の哲学』という本を出し、全国で佐藤真さんの映画の上映会をやるなかで、福島で開催したいと思いつつも、やっていいんだろうかという気持ちがずっとありました。でもお話を聞かせていただいてすごく勇気をいただきつつ、覚悟も決まったというように感じます。
そもそもこの本ですが、私は大学の時に卒論で佐藤さんについて書いて、佐藤さんの本を作りたいなと思いつつ、社員編集者としてなかなかその状況を作れず、そうこうしているうちに2007年に佐藤さんは49歳で亡くなってしまいます。その事実を受け止めきれないまま時が経ち、震災が起きました。
そして震災がきっかけになって、私は会社勤めを辞めて、一人で版元を起こすんですが、まだ最初のうちは佐藤さんが亡くなったという事実にどう対していいのかという気負いがあって、なかなか勇気が出ませんでした。
ところが、震災直後はもっと希望的な観測で良い方に日本は変わるだろうと思っていたら、全然違う方にいってしまって原発が再稼働するという話が出てきた。佐藤さんが生きていた時代から想像もつかないような日本になってきているなと思ったんです。その時に、本を出すのは今かなと思いました。佐藤さんがずっとテーマにしてきたのが「日常」と「不在」だったんですが、「日常」はまだしも、「不在」はずっと意味がわかりませんでした。なぜ佐藤さんは「不在」を撮ろうとしたんだろうと。
この本の製作過程は、実は『阿賀に生きる』と似ていて、あまりゴールを決めずに走り出すような感じで、過去の佐藤さんの書いた原稿やインタビューと、佐藤さんと関わりのある人たちの書き下ろしのエッセイを往復させるようにして作っていきました。でもその作業をするうちに、「わたしはずっと、佐藤さんの不在の中で考え続けているな」ということに気づいたんです。そして、この「考え続ける」ということと「想像し続ける」こと自体は意味があるんじゃないかと思うようになりました。
赤坂さんのお話の中で、「見えないものを撮る」というお話があったときに、それは「不在」でもあるなと思ったりしていました。ただその姿勢ってすごくわかりづらいし、とても淡いものなので、白黒なんでもはっきりつけなくちゃいけないという現在の風潮のなかで、そういう姿勢は真っ先に端っこに追いやられてしまう傾向にあるような気がします。そんな現在の日本で、佐藤さんの映画がこうして観られる機会があるということはすごくありがたいことです。また、先ほど旗野さんのお話に出た『あがの岸辺にて』は、すべての出発点になっている聞き書き集です。旗野さんの「冥土のみやげ」の活動も、わかりやすいものではなかったからこそ現在まで繋がってきた。だからこそ持続性があると感じます。そういったこともこの『あがの岸辺にて』のなかから読み取れるものがあるはずです。
また実は、小森さんがいまご自身の監督作『息の跡』を準備中ですが、小森さんは佐藤真さんのことをまったく知らなかった2012年に、デジタルリマスタープリントの公開タイミングで初めて観たそうです。そのとき、小森さんが震災後、陸前高田に移り住んで映像を撮りながら葛藤していたことの答えを佐藤真さんのなかに見たと思った、と伺っています。
そういった佐藤さんへの想いから、今回福島での上映会開催に尽力していただいたんですが、こういうふうにまったく当時を知らない世代の小森さんにもこうして映画が繋がっていっているのは、まさに希望だと感じます。小森さんの新作『息の跡』のことを少しお話いただけますか?
小森 この場をお借りして恐縮ですが、『息の跡』という陸前高田の佐藤たね屋さんという、種や苗を売る商売をしている方のドキュメンタリー映画を作りました。当初は公開する予定なんてまったくなかったんですが、実はこれも佐藤真さんと関係していて、『阿賀に生きる』のカメラマンでもあり、現在は映画監督の小林茂さんが今年(2016年)『風の波紋』という映画を作りました。この作品も『阿賀に生きる』や佐藤真さんと関わりのある方々が携わっている映画なのですが、そのみなさんが、そのままわたしの映画を手伝ってくださって、佐藤監督が設立されたカサマフィルムが制作会社として入ってくださいました。まさに佐藤さんのご縁で完成したような作品なんです。なので、佐藤真さんの作品は、福島や東北の地域で、現在に問いかけてくるものがたくさんあると思っています。今回はですから、福島で上映ができて本当に良かったと思っています。
(構成:清田麻衣子 / 構成協力:小森はるか)
影響を受けた人からともに歩んできた人まで、佐藤真に惹きつけられた32人の書き下ろし原稿とインタビュー、そして佐藤真の単行本未収録原稿を含む傑作選を収録。映像作家であり、90年代後半の類稀な思想家とも言うべき佐藤真の哲学を掘り下げ、今を「批判的に」見つめ、私たちの確かな未来への足場を探ります。
佐藤真(さとう・まこと)1957年、青森県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。大学在学中より水俣病被害者の支援活動に関わる。1981年、『無辜なる海』(監督:香取直孝)助監督として参加。1989年から新潟県阿賀野川流域の民家に住みこみながら撮影を始め、1992年、『阿賀に生きる』を完成。ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭銀賞など、国内外で高い評価を受ける。以降、映画監督として数々の作品を発表。他に映画やテレビ作品の編集・構成、映画論の執筆など多方面に活躍。京都造形芸術大学教授、映画美学校主任講師として後進の指導にも尽力。2007年9月4日逝去。享年49。
第1章 阿賀と日常
赤坂憲雄(民俗学)、平田オリザ(演出家)、想田和弘(映画作家)、森まゆみ(文筆家)、佐藤丹路(妻)、小林茂(映画監督)●佐藤真と盟友・小林茂の往復書簡 ※佐藤真の手紙を初収録 ●座談会 旗野秀人(『阿賀に生きる』発起人)×香取直孝(映画監督)×小林茂×山上徹二郎(シグロ代表)
第2章 生活を撮る
松江哲明(映画監督)、森達也(映画監督・作家)、原一男(映画監督)、佐藤澪(長女)、佐藤萌(次女)
椹木野衣(美術評論家)、秦岳志(映画編集)第4章 写真と東京
飯沢耕太郎(写真評論家)、笹岡啓子(写真家)、諏訪敦彦(映画監督)●グラビア 佐藤真1990’s トウキョウ・スケッチ ※佐藤真の東京スナップが蘇る! 構成・解説:飯沢耕太郎
四方田犬彦(批評家)、大倉宏(美術評論家)、八角聡仁(批評家)、ジャン・ユンカーマン(映画監督)●インタビュー 阿部マーク・ノーネス(映画研究)
港千尋(写真家、映像人類学者)●企画書「ドキュメンタリー映画の哲学」
林海象(映画監督)⚫︎論考「佐藤真をめぐる8章」萩野亮(映画批評)●インタビュー 小林三四郎(佐藤真いとこ、配給会社・太秦代表取締役社長)⚫︎教え子座談会 石田優子(映画監督)×奥谷洋一郎(映画監督)×山本草介(映画監督)●ルポ「佐藤真のその先へ−—−—「佐藤真の不在」を上演するということ」村川拓也『Evellet Ghost Lines』
(つづく)