第1回 前編
赤坂憲雄×旗野秀人×小森はるか「福島に生きる」は可能か。
2018年11月5日 公開
顕在化しなかった「水俣病」「鉱毒事件」はきっと日本中にある
小森 すごく大事なお話をたくさん聞かせていただきました。『阿賀に生きる』にも通じると思いますが、何かを訴えることよりも、運動していくなかで見えてくるものがある。それはこちらが見たい目線ではないんですね。「宝もん」って旗野さんがおっしゃるような生き方や暮らし方を見せてくれることのほうが、その暮らしを奪ったこの水俣病という病気の恐ろしさを伝えてくれる。旗野さんから私は、そういう表現の仕方や、「文化になる」という考え方を教えていただいたと思っているんです。赤坂さんはその少し後、山形に拠点を作られて、「野辺歩き」をしていろんな人に出会ったとお聞きしました。
赤坂 『日常と不在を見つめて』の本で、はじめて『阿賀に生きる』について文章を書かせていただくということで日付を確認していたら、1992年に映画ができているんですね。僕はその年に、東京を離れて山形に行きました。山形に行ってそこから10年ぐらいずっと聞き書きをしていたので、この映画に描かれている世界とものすごく近いんです。僕は最上川沿いの川べりの村をいくつも訪ね歩いていたから、ほとんどこの映画の風景と重なるような風景を見て歩いていたんですね。それで、とっても唐突なんですが、もちろん最上川沿いには、水俣病はなかったんです。でもね、ほんとうになかったんだろうかって、ふと思ったんです。たとえば、僕の友人の森繁哉という舞踏家がいる大蔵村は、山奥に鉱山がたくさんあって、みんなそこを流れている川を指差して言うわけですよ、「真っ赤だった」って。だから鉱毒が垂れ流しされていたわけです。地元の人はその川の魚なんて誰も食べない。そんな話を繰り返し聞いたそうです。それを聞いて僕は、「あれ、それって鉱毒事件の川と同じだよな。つまり、単に事件として顕在化していないだけで、実は日本の近代っていうのは、至るところにそういう風景を生み出していたんじゃないか」って思ったんです。でもその地域の人たちは、それがもたらすマイナスを甘んじて、事件にすることもなく、たくさんの人たちがきっと傷つきながら生きてきた。そういう歴史が語られないままいくらでも転がっていたんじゃないか。そんなことを、フッと思ったんですよ。
“新潟水俣病”という形でこれだけ顕在化して裁判になり、大騒ぎになりながら、安田患者の会で一人しか認定患者がいない。昭和電工の悪口はみんな言わない。きっとそういう構造が、日本全国、当たり前に転がっていて、隠されてしまった歴史がたくさんあるんだろうなって。変な感想なんですけど、僕はそういうことを考えてしまいました。だから、新潟水俣病という形で突出した風景になったのは、もしかしたら偶然が顕在化させたのであって、もっと沈められているものがたくさんあるのかもしれない。この文章を書くときに、自分の聞き書きの日々を思い返しながら、そんなことを思ったりしました。
旗野 その通りなんです。1973年になると、有明湾で熊本大学がいわゆる第三水俣病を公表したり、新潟においては関川水俣病を上越の方で公表したりする。日本全国そういうことが無数にあったはずなんです。それをことごとく国は、御用学者の偉い先生を組織して、全部潰すわけですよ。そういう時代があったんだけど、もう今じゃすっかり忘れて、たぶんこれから起きる原発の補償問題なんかも、同じような展開になるんじゃないかと思っています。意外と原発事故の後、誰もちゃんと調べてないんですよね。
赤坂 そうですね。たとえば工場で働いている人たちの障害みたいなものも、まるで勲章みたいに、そこで働く誇りみたいな話題にひっくり返されていく。実に巧妙な論理が渦巻いている。だって福島で甲状腺癌がこれだけ出ているのに、「因果関係はない」と医者はまだ言い張るわけでしょ。そして病院の院長が、その状況に精神的に耐えきれずに辞めていったりしている。構造はずっと同じですよね。熊本の水俣病だって、申請すれば認定されるのにしない人たちがすごくたくさんいました。そして問題は深く潜行していく。
私、『阿賀に生きる』を観て、水俣病ってなんなんだろうって、ふと思ったんです。『阿賀に生きる』は水俣病の患者さんたちを写した映画か。だとすれば有機水銀が人間の身体や精神に対してこういう影響を与えているといった映像を並べるでしょ。でもそんなものはなにも映していない。本当にわずかな場面でお母さんの曲がった指を見せることによって、「あ、この人たちは認定されていなくても、水俣病に冒されてるんだ」ということを知らせる。でも考えてみるとね、医者は有機水銀によって表れた障害が水俣病だっていうけども、実はそうじゃないんじゃないか。たくさん患者がいるのに認定されずに、みんなで一生懸命「昭和電工様」って言いながら寄ってたかって被害の実態を隠してしまう人間関係や社会のあり方のような、目に見えないもののほうこそ、水俣病というものを捉えているような気がしてしまうんですよ。
つまり、医者の概念なんてどうでもよくて、もっと複雑に人間とその社会をまるごときちんと捉えないと、水俣病の全容が見えない。だから佐藤真さんは、医者の論理に巻き込まれてどれだけ悲惨な症状が出てくるかとか、そういう戦いは最初からしていない。もちろんこの映画に出てくる人たちは病気であることは確かで、それはきちんと裁判で認めさせて、補償させるべきです。でももっと人間という存在のまるごとと付き合う中で、病気の方がその人より大きいんじゃなくて、病気よりもその人の暮らしや生業の方がずっと大きいということがわかる。
だから、この映画に出てくる患者さんたちはみんな明るいんですよね。こっちが幸せな気分にさせられるような、人間の豊かさを見せつけられる。我々はこの映画から“宝もの”をきっともらっている。それはきっと人間の方がスケールがでかいからなんです。でも認定ということになると、旗野さんが言われたように、局部にすぎない病気と戦わなくちゃいけないという矛盾が生まれる。
旗野 映画にも映っていましたが、遠藤さんの家の窓ガラスは割れたままで、そこに朝顔の蔓が絡まっていたりする。私は一応本職は大工なので、「ガラス入れ替えてやるよ。寒いでしょ」って言ったら、「余計なことするな。これは毎年朝顔が一輪挨拶する入り口なんだ」って。「遠藤さんかっこよすぎるよ。良寛みたいじゃない」って言ったんだけど、本当に平気なんですよ。いくら貧しくても、寒くても。感覚障害で、骨が露出するほど火傷してるのに気づかない。そんな症状を持っている人が、花一輪を愛でる、この豊かさってなんなんだろうって思っちゃった。
鹿瀬の田んぼをやっている長谷川芳男さんも、娘さんから電話がきて、娘さんに「もういい年なんだから、じいちゃんそんな田んぼやめて」って言われて最初は怒るけどニコって笑って、「俺これ(田んぼ)好きなんだわや。楽しんだわや」って。あんな過酷な労働をそんなふうに言える、あの余裕。
餅屋の加藤のじいちゃんは明治生まれで、身体も縮んで小さいんだけど、餅を28臼もつくんですよ。もうびっくり仰天。ニセ患者って言われるのもしょうがない(笑)。でも実は、加藤さんが認定のための症状が一番揃ってる人なんです。なのにあのパワーというか、あの生き様はなんなんだろうか。加藤さんの家は電気も水道もガスも定額料金以下。要するに、おてんとうさまと一緒の暮らしをしてるんです。その加藤さんがまたまともなことを言うんですよ。「旗野さん、そんな活動家みたいなことやっちゃダメだ。お前は大工なんだから、うちなんか来てちゃダメだ。ちゃんと結婚して普通の暮らしになったらまた来い」って。それで俺、結婚するんだけど、俺の結婚式とじいちゃんたちの金婚式を一緒にやって、家族ぐるみの付き合いになる。
もう運動とか、正しさを突き抜けていく感じなんです。佐藤真は映画のナレーションで「丁々発止の場面で家族以上な関係」って俺と加藤さんのことを言ってくれてるんだけど、そういうことになっちゃってるもんだから、裁判が終わろうが、付き合いが終わるわけがない。死んだって付き合ってるんだもん(笑)。
(構成:清田麻衣子 / 構成協力:小森はるか)
後編につづく
影響を受けた人からともに歩んできた人まで、佐藤真に惹きつけられた32人の書き下ろし原稿とインタビュー、そして佐藤真の単行本未収録原稿を含む傑作選を収録。映像作家であり、90年代後半の類稀な思想家とも言うべき佐藤真の哲学を掘り下げ、今を「批判的に」見つめ、私たちの確かな未来への足場を探ります。
佐藤真(さとう・まこと)1957年、青森県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。大学在学中より水俣病被害者の支援活動に関わる。1981年、『無辜なる海』(監督:香取直孝)助監督として参加。1989年から新潟県阿賀野川流域の民家に住みこみながら撮影を始め、1992年、『阿賀に生きる』を完成。ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭銀賞など、国内外で高い評価を受ける。以降、映画監督として数々の作品を発表。他に映画やテレビ作品の編集・構成、映画論の執筆など多方面に活躍。京都造形芸術大学教授、映画美学校主任講師として後進の指導にも尽力。2007年9月4日逝去。享年49。
第1章 阿賀と日常
赤坂憲雄(民俗学)、平田オリザ(演出家)、想田和弘(映画作家)、森まゆみ(文筆家)、佐藤丹路(妻)、小林茂(映画監督)●佐藤真と盟友・小林茂の往復書簡 ※佐藤真の手紙を初収録 ●座談会 旗野秀人(『阿賀に生きる』発起人)×香取直孝(映画監督)×小林茂×山上徹二郎(シグロ代表)
第2章 生活を撮る
松江哲明(映画監督)、森達也(映画監督・作家)、原一男(映画監督)、佐藤澪(長女)、佐藤萌(次女)
椹木野衣(美術評論家)、秦岳志(映画編集)第4章 写真と東京
飯沢耕太郎(写真評論家)、笹岡啓子(写真家)、諏訪敦彦(映画監督)●グラビア 佐藤真1990’s トウキョウ・スケッチ ※佐藤真の東京スナップが蘇る! 構成・解説:飯沢耕太郎
四方田犬彦(批評家)、大倉宏(美術評論家)、八角聡仁(批評家)、ジャン・ユンカーマン(映画監督)●インタビュー 阿部マーク・ノーネス(映画研究)
港千尋(写真家、映像人類学者)●企画書「ドキュメンタリー映画の哲学」
林海象(映画監督)⚫︎論考「佐藤真をめぐる8章」萩野亮(映画批評)●インタビュー 小林三四郎(佐藤真いとこ、配給会社・太秦代表取締役社長)⚫︎教え子座談会 石田優子(映画監督)×奥谷洋一郎(映画監督)×山本草介(映画監督)●ルポ「佐藤真のその先へ−—−—「佐藤真の不在」を上演するということ」村川拓也『Evellet Ghost Lines』
(つづく)