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連載読みもの

「佐藤真の不在」との対話

5 前編

小林茂「わからないから撮る」

2019年9月15日 公開

『阿賀に生きる』の現場は映画の学校だった

小林 加藤のジイちゃんの餅つきのシーンもそうなんです。旗野さんは加藤さんの家を撮ってほしいと思っていたと思いますが、どう入っていったらいいかわからない。僕はやっぱり加藤さんの家を撮るのは餅つきの日しかないと考えていました。それは12月なんです。そこで僕は半年くらい前からカメラが安定するように、新潟は温泉が豊富なんで、風呂に行くと必ずスクワットをやっていた。そして1週間ぐらい前にスタッフに「餅つきを撮りたい」と言ったら、「なんで新潟水俣病と餅つきが関係あるんだ」ってことになった。

山本 佐藤さんも反対なんですか。

小林 賛成する人なんて誰もいないですよ。あのころはまだスタッフは4人ですが、僕は年長だし、キャメラマンだから、「やるぞ」って強引に言って撮ったんです。そしたらいざ当日になって撮影助手のヤマちゃん(山崎修さん)が、「小林さん、あの、フィルム忘れました」と。「取りにいってこい!」。そんなこともありました。
キソおばあちゃんは隣の部屋のベッドで寝ていましたから,ばあちゃんが囲炉裏端に来るのはお昼のときしかないと、タイミングをみて囲炉裏の反対側でキャメラを構えていたのです。思った通りキソさんが囲炉裏端にやってきて、加藤さんと並びました。
加藤さんはつきたての餅を僕ら若い連中に食べさせたくて、しきりに「食べろ食べろ」って言うわけですよ。でも僕らは撮りたい。そしたら佐藤さんが僕に「コバさん、あの、餅食べてから撮影したらどうだろうか」って言うもんだから頭に来て、「餅を食うのは監督の仕事だろ!」と作二さんにわからないように、佐藤さんに向かって小声で怒った。作二さんは、耳が遠いから聞こえていなかったかもしれません。でもその後、「食え」とは言わなくなった。なんか僕は「お前たちはお前たちで職人なんだな」という空気が伝わったんだなと思ったんです。そしたら、二人の痴話げんかがはじまったのです。

山本 見えてますよね。

小林 「餅を食うのは監督の仕事だろ」「あ、私がいただきます」っていうようなやりとりを加藤さんたちに見せることで、スッと彼らの中に入っていったんじゃないかなと思うんです。僕はそのとき、キャメラを構えながら「映画ってこういう世界なんだなあ」っていうのをマジックミラーで見ているような気がしてね。だから僕は映画の最初の観客ですよ。その日は、映画の時間と空間ってこういうことを言うんじゃないかっていう手応えを感じた1日でした。


餅つきの時の加藤作二さん(左)と妻のキソさん(右)(写真提供:「阿賀に生きる」製作委員会)

 

山本 じゃあ佐藤さんとしてはああいうシーンを最初から狙ってたわけじゃなかったんですね。

小林 佐藤さんは反対側でしたね。なんで餅つき撮るんだっていう感じでしたよ。

山本 だけど、その日それが撮れちゃったときに、「これなんじゃないか」って佐藤さんの中でも変わっていった感じがあったんですか。

小林 それは佐藤さんも監督ですから。物理的には映っていなくても、そのシーンのどこかに僕たちが映り込んでいる。そういうことが映画なんじゃないかと。そういうのがしばしば撮れるようになってくるわけね。

山本 3年間という時間の中で。

小林 そうそう。そういう瞬間がしょっちゅう来るわけじゃない。映画の神様はしょっちゅう降りたらあんまり価値がないでしょう。大事なときに降りてくる。一方でシチュエーションは必ず用意をしないといけない。たとえば、長谷川さんがかつてやっていた鈎流し漁を実際にやってみるシーンがありますね。それを撮るためには、僕たちが知っている40代の鮭の鈎流し漁の経験者を呼んできて話をしてもらう。そうすると、長谷川さんも自然とその話になる。そういうところはライトを吊って、カメラを回すわけね。そしたら、ばあちゃん、ミヤエさんがガラっと戸を開けて入ってきて「お話し中恐れ入りますけど、じいちゃん、ジャガイモどこありますかね」って入ってくる。もうおかしくて(笑)。

山本 おかしいですよね。

小林 だからその後に出てくる鈎流しのシーンは、あそこで話をしているシーンを撮っておいたから最後が利くわけでしょ。

山本 そうですね。

小林 また、そのとき、ミヤエさんが笑いながら若いころの思い出話をするシーンも生きてくるわけです。嫉妬深い舅が妻の浮気を疑って、追っかけていって、着ていた刺し子(半纏)の背中を鈎で割いたのを見たという話をするシーンですね。この話はご飯食べるときなんかに何回も聞いてるんですよ。でも、それを普段の日常のなかでのシーンとしてはなかなか撮れない。遠藤さんが感覚障害で火傷をしても気づかなかったという話をするシーンもそうですが、「日常」の中でさりげなく出てくる。それがいいのです。僕がついていた柳澤監督は絶対に「遠藤さんの病状はどうですか」なんてことは聞かない。

山本 小林さん、撮影中にカメラ止めちゃったりしたんですよね?それはどうしてですか?

小林 濃密な時間が撮れている感覚があるのに、佐藤さんが、急に「昭和電工のどうのこうの」とか聞いたりするわけです。佐藤さんはあのころ『辺田部落』という小川プロの作品が目標だったから、そういう質問をきっかけにして一人語りにもっていきたいという考えはわかるんだけども。

山本 呼び水として。

小林 「もう時間と空間が動いてるのに、それを認識しない佐藤さんは駄目だ」と僕は思って、しきりに佐藤さんに、答えがわかるような質問、当時僕は「現ナマ」って言ったんですけど、『現金(ゲンナマ)に手を出すな』ってジャン・ギャバンが出てた映画のタイトルになぞらえて言ったんです。かっこいいでしょう? 笑うとこよ、ここは(笑)。

山本 ははは。

小林 でも佐藤さんは手を出すから、そしたら僕は強硬手段でカメラのスイッチを切った。僕が柳澤監督に習ったのは、とにかくカメラマンが夢中になってカメラを回せる状態をつくりだすのが監督の仕事だってことだったんです。だから、監督は現場で何かいろいろやるのが仕事じゃないわけですよ。監督は、カメラが回る前に場を作ってるもんなんです。だから鈎流しの名人会に頼んで長谷川さんと合わせるようなところは、僕が知らない間に、佐藤さんもちゃんと仕込むようになるわけ。そこで、ああ。やっと一人前の監督になったか、と。

山本 なんか本当に学校というか、議論、議論、議論みたいな日々だったんですね。

小林 そうですね。鈎流しは結局2回やったんだけども、1回目は獲れなかった。そのときの悔しがってる長谷川さんの顔が良かったの。軽トラに乗って「俺は腕が鈍ったかな」とか言って暗闇に入っていくんです。

山本 そんなシーンもあるんですか。

小林 僕はそれが好きで。でも佐藤さんが「もう一回やらせてくれ」って言うもんだから、僕は、「いや、あれでいい、獲れなくていい」と強硬に言ったんだけども、佐藤さんが食い下がったので、そこまで言うならということで撮ったわけね。そしたら鮭が獲れちゃった。ロングに構えていたカメラを、鮭が獲れたらヒュッとズームで寄らなきゃいけないのに、僕としては「獲れちゃったか、仕方がねえな」という思いが強くて、ずーっとゆっくり時間をかけて寄ったりしてしまった。今見れば、獲れたのを見ないとお客のほうは納得しないし、たまたま獲れたのも百に万の偶然だから、それは非常にいいなと、このシーンを撮ったことには大賛成なんですが。だからそういう駆け引きはあったよね。でもケンカはみんな、芝居ですよ。

山本 芝居なんですか!

小林 半分芝居。もちろんケンカはしてるけど、芯からやってたらこんな映画できないですよ。

山本 まあそうですね。