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連載読みもの

「佐藤真の不在」との対話

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旗野秀人×永野三智「水俣病発生から【遅く来た若者】だからできること」(後編)

2018年12月14日 公開

2016年3月、書籍『日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』の刊行とともに始まった東京・御茶ノ水のアテネ・フランセ文化センターでの佐藤真の作品上映とゲストによる対談は大盛況となり、神戸、京都、福岡、福島、横浜へと、上映の波は広がっていった。この対談連載は、本上映会でのトークを再構成したものである。

佐藤真の「不在」が、いかにその「存在」を濃くし、不在に向き合うことが、いかに私たちの考えを深めていくものなのか。そして彼が目指したものが、私たちが理性を持って現代を生きぬいていくためにいかに必要な姿勢か。本連載は、不在の佐藤と、いまの時代に佐藤真の視線を持ち続ける人々との対話である。

今回は(前編)に続き(後編)をお送りします。

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「遅く来た」若者だからできること

——  たとえば佐藤真さんは、水俣病患者であるおじいさんたちから話を聞くのに3年かかったと言います。永野さんの場合、「患者相談」というお立場ではありますが、どんな心構えで、どんなふうに患者さんと接されているんでしょうか。受け止めきれない想いを訴えられたりすることも多いと思います。そういう時はどう返されますか。

永野  私は言葉を返せないことばかりなんです。カウンセリングの教育を受けたとか聞き取りの研修受けたわけでもないので、とにかくただただ、聞くのみということが多いです。認定申請といった場合は別ですが、相思社にやってくる患者さんは、何かを求めてということでもないような気がするんです。とにかく聞き手になる。話したいことを話してもらう。

ただ、相思社に入ってしばらくした頃に、認定患者の家族の方で、70歳くらいの方がワッて泣きながら、お墓に持っていこうと思っていたという辛い経験を話されたんです。その話は私自身、トラウマみたいに後々まで残りました。でも日々、いろんな話を聞きながら私の救いになってるのは、日記をつけることなんです。日記をつけて1日のことを発散して、次に向かうみたいな感じで。(※この日記や機関誌『ごんずい』で連載した『患者相談雑感』に大幅に加筆した書籍が『みな、やっとの思いで坂をのぼる—水俣病患者相談のいま』(ころから)として2018年9月に出版されました)

補償を受けたから終わりではなくて、その人の人生はずっと続いていくわけで、だけど一度補償を受けると、もう日本の社会には無かったことみたいに葬られていく。でも最近私がいいなあと思うツールは、Facebookなんです。個人がわからないようにして、その日にあったことを綴ると、誰かが返してくれる。私、Facebookは、「不幸の手紙」って呼んでいるんですけれど(笑)、それを読むことで、次の人がドーンッて落ち込んでいく。だけどここで声を出している人がいて、その人の声を引き受けた者が発信して、引き受けた者も、それをまた受け取った者もドーンってなってドーンってなって……と、シェアされていく。「いま何人くらいドーンってなったかな」なんてことを私は思いながら(笑)、でも立ち止まること、考えること、誰かを想うこと、それも必要なことだなと、私は思っているんですよね。

———— 『阿賀に生きる』は当初の想定を超えたヒットとなり、その後も長く観られる映画になりました。そして毎年5月には、亡くなる患者さんの「追悼集会」として『阿賀に生きる』を安田町でかならず上映し、イベントを開催しています。

旗野  92年の春に映画が完成して、翌年93年の春、4月10日に、私が最も尊敬する患者さんの、餅屋の加藤のジイちゃんが亡くなりました。そして後を追うように、おばあちゃんが同じ年に亡くなる。私は大変ショックだったけれども、恩返しみたいなことをとにかくやらなきゃと思って、すぐに追悼集会をやりました。その年から始めて、来年(2017年)で映画が25年、追悼集会が25回目になります。

全国の『阿賀に生きる』ファンが来れるように5月4日に開催していて、毎年北海道から九州まで、今では『阿賀に生きる』が出来た頃に生まれたような若い人も100人ぐらい、みんな勝手に毎年来てくれるんです。必ず午前中は『阿賀に生きる』を無料で観てもらって、午後からはいろんなゲストのお話を聞いたり、歌ったり踊ったりみたいなイベントをやって、夜は宴会。そして次の日はお墓参りですね。「追悼集会」と言いながらまったく縛りがないから楽しくてしょうがないってみんな言うんですね。『阿賀に生きる』が出来て20年の節目の時には、やっぱりフィルムを残そうっていうことで、また全国からカンパを募って、ニュープリントを作りました。そのときできた『阿賀に生きる』と『阿賀の記憶』の二本のフィルムがなんと国立近代美術館フィルムセンター(現国立映画アーカイブ)でフィルムを保存してもらえることになった。管理さえ良ければ、やっぱりフィルムの方が長持ちするらしいんです。そんなこんなで気がついたら、結構、若い人が次から次へと私の周りに来て手伝ってくれるんです。それで、映画に使われなかった35時間分くらいの膨大なフィルムを、今、若い人たちが勝手に自分ら流に繋いだりして、今年(2016年)の9月の長岡国際映画祭に発表することになって、いま毎月のように私のところに集まっています。

そして、『阿賀に生きる』のベースになった『あがの岸辺にて』という、水俣病の患者であり、阿賀野川とともに生きてきた人たちの暮らしを聞き取った聞き書き集も、35年ぶりにこの春、復刻しました。その原動力は追悼集会をきっかけに集まってきた若い人たちがガリ版刷りの当時の本を見て面白がってくれて「作り直しませんか」って言ってくれた。これまで私は常に熊本に引け目を感じていたんですけが、そういうことじゃないんだなぁと思いました。みんなそれぞれのスピードとか、やり方があって、無理しちゃいけない。

マスコミは『阿賀に生きる』を「新潟水俣病三家族のドキュメンタリー」とかって、どうしても書きたがるんです。でも私と佐藤さんは最初「水俣病っていう言葉を使わないでドキュメンタリーを作ろう。とにかく生活を丸ごと残そう」みたいなことを、一生懸命話し合いました。「水俣病」という言葉を使うことによって観る人を限定してしまうんじゃないかと。でもだからこそ、たぶん25年経っても、あちこちで、今日もそうですが、ずっと観てもらえるんだと思います。


『阿賀に生きる』では水俣病の患者である3家族が阿賀野川沿いでいかにその暮らしを丁寧に紡いできたかが丹念に描かれる。(撮影:村井勇)

今年100歳になる、渡辺参治さんという、安田患者の会の最長老で、民謡が大好きで、寝ても覚めても民謡を歌ってるおじいさんがいます。町のなかの人たちからは「ニセ患者の代表」なんて言われてる(笑)。まったく水俣病患者らしくない方で、へーチャラでいっつも歌ってる。その参治さんが10年前の米寿のお祝いに、『うたは百薬の長』っていうタイトルのCDを作りました。まさか100歳まで生きるとは思わなかったですけど(笑)。去年の追悼集会では参治さんが人生で最初に覚えたという「博労唄」を唱ってくれました。参治さんもそうですが、患者さんからは、水俣病患者という、こっちから強いる像がいちばん危険なんだっていうことをいつも教えてもらっています。

私も佐藤さんも、土本さんに滅茶苦茶に言われた当時、若かった。そして遅かったんです。でも常に若い人たちは「遅く来た」って見られるものなんですね。でも私だってもう今年で45年も新潟水俣病と付き合ってるっていうことになる。ただその繰り返しかなっていう気がするんです。だからけっして遅いということはない。みっちゃんも、いろいろあって、お母さんになったから相思社に入ることになったような部分もあると思う。だから、不思議なもんで、ほんとにいいタイミングで水俣に戻れたし、相思社に入って、新しい風を吹かせた部分もあったんだと思います。

 

永野  私が相思社に入ったのは2008年でした。その直後に、ちょうど真ん中の世代の方々が抜けて、60代のスタッフと、20代の私、というバランスになって。そんなこともあって「好きなことをやれ」という感じで、患者対応に力を入れてもいいということになったんだと思います。

甘夏事件(※相思社は寄付金に頼らない運営を目指し、水俣病患者家庭果樹同志会が栽培する低農薬の甘夏を販売し、運営資金としていた。しかし、1989年、生産量が注文量に追いつかず、断りは入れたうえで、基準値以上の甘夏を買い求め、販売。しかし封入するチラシには基準内の甘夏であることを示す旨記されていたことが告発により発覚。水俣病運動の理念に基づく甘夏販売だっただけに、社のあり方を問う事態に発展し、この事件により当時の理事全員が辞任、職員の半数が退職した)という事件があったんです。そしてそれ以降、患者さんとは一線を引いて距離をとる状態になってしまった。

そんな状態だった相思社に入った私が近所を歩いていると、「誰々が認定されたからまた水俣病が盛り上がり始めた」とかいうおじさんがいたり、「水銀条約に『水俣』っていう名前をつけるのはやめさせろ。それができるのはみっちゃん、お前しかいない」なんて焚きつけられたり(※正式名称「水銀に関する水俣条約」。2013年に締結された水銀及び水銀化合物を使用した製品の輸出入を規制する国際条約。水俣病のような水銀による健康被害や環境汚染が起きないよう規定を設けた)。甘夏事件以降、もう同じ失敗を繰り返さないぞという決意のもと、どう相思社を立ち直らせていくか、と模索していた時期だったんだと思います。