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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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チーナン食堂のおかみさんとマグネシウム

2023年8月16日 公開

復興とラーメン

日常的ななにかが、なにかの拍子にふと「3月」と結びついてしまう。そんなことがしばしば起きる。小名浜港のそばにある食堂でラーメンを食っているときなんか、特に。

小名浜港のそばに「チーナン食堂」という小名浜の民ならだれもが知っている食堂がある。ケイさんとノブさん、双子の女将が切り盛りする小名浜のシンボルだ。店は、震災前に魚市場があったところから、路地をふたつくらい町場のほうに入ったところにある。日本家屋風の建物の1階部分が食堂で、チーナン食堂と書かれた紺の暖簾がかかっている。店のそばまで来ると、あまじょっぱいようなスープの香りが漂ってくるので、胃がぐぅと鳴るのを抑えられない。もうその時点で、匂いやっべ、ラーメンにしよ、っとほぼ注文が決まってしまうほどだ。はやる気持ちを抑えながら引き戸を開けると、複数の女性の声で「いらっしゃいませー」と聞こえて来る。そのなかに、ひときわ店内に響く「いらっしゃいませー」がある。女将の声だ。これを聞くと、いよいよ至極のチーナンタイムの幕開けだとスイッチが入る。


我らがチーナン食堂。昼時はいつも行列ができる

店内はさほど大きくはない。入り口のほうに小さな4人用のテーブルが4、5脚、奥は畳の小上がりになっていて、大きめのちゃぶ台が2脚ある。この店はちょくちょくテレビで紹介されるので、週末になるとイチゲンさんも目立つ。メニューをしげしげと見ている若者たちは市外から来た人だろうか。反対に、平日は小名浜で働く人たちがメイン。メニューを見ることなく、ラーメン半チャーハンやラーメン大盛りを注文していく。作業服を来てラーメンをかき込む人たちを見ると、オレも負けてられるかと気合が入り、ついつい半チャーハンをつけてしまう。

名物はこの「ラーメン半チャーハン」だが、メニュー表にはオムライスだのカツカレーだの焼きそばだの、ちきしょう、胃袋がふたつありゃあこっちも食ったものをと思わせる魅惑的なメニューがあり、本当はみんなそっちも食ってみたいはずなのだ。だもんで、ラーメン以外のメニューを頼もうものならほかの客の視線を浴びてしまう。だれかの「おおお、焼きそばのボリュームやべえ」とか「マジか、カツカレー、ぜったい次頼もう!」とか、密かに気になっていた心の声が聞こえて来るようだ。

「チーナン」は由来を遡れば中国の「済南」にたどり着くはずだ。済南は、中国の山東省にあり、中国四大料理のひとつ「山東料理」の本場として知られる。山東料理は古くは北宋の時代にまで遡ることができ、その後、明代以降に宮廷料理として食された。宮廷料理、つまり北京料理のルーツとなった料理なのだ。山東料理の中でも済南料理は豚肉、川魚などの食材を甘じょっぱく煮込んだり、塩を使って旨味を引き出したりと、少し濃いめの味で調理するのが特徴だ。双子の女将に聞いたところ、もともと福島市に親族がやっていた「チーナン食堂」という食堂があり、女将の曽祖父夫婦がそれを暖簾分けしてもらって、小名浜に開いたという歴史があるそうだ。福島市には満州から引き揚げてきた人たちが開業したラーメン店や餃子店が数多くあったと言われるし、事実、福島市名物の「円盤餃子」もその歴史に連なる。満州には、餃子や麺料理の本場でもあった山東からも入植者がかなり入っていたというから、満州から引き上げて来た人が現地で済南料理を食べていたことは想像に難くない。とすると、やはり「チーナン」は中国の「済南」なんだろうなと考えるのは自然だと思う。

いや、というかだ。小名浜人にとってチーナンは「チーナン」であり「済南」ではない。そもそも中国に「済南」という地域があることなんてほとんど知られていないはずだ。みな「チーナン」といえば、青空広がる小名浜の、港のそばの小さな店の、窓から麺を茹でる蒸気がもくもくとはみ出ちゃってて、双子のかあちゃんの元気もはみ出ちゃってるまさにこの店の雰囲気、そう、ほんとうに「心のふるさと」として記憶されているものなのである。


看板の下立つと、醤油のスープと小麦の香りが漂ってくる

チーナンはとにかく料理が速い。気の短い小名浜人の胃袋を支えるには、速い、安い、うまいが鉄則だ。注文から5分もしないうちに、ひたひたにスープが入ったラーメンがやってくる。0歳から通っているうちの娘によると、「チーナンってさ、ラーメンがくるのがめっちゃ速いよね。それにうまいし。だからいいんだよね」とのこと。娘、わかってる!

ぼくはちょくちょく「メンマラーメン」を頼む。メニュー表にはない。つまり「裏」。ただ、メンマはラーメンに盛られていない。普通のラーメンと、お茶碗に盛られた別盛りメンマが一緒にやってくるスタイル。「別盛りの」とは書いたけれど、「オプション」とか「トッピング」なんてレベルではなくて、普通にお椀一膳分盛られている。

漫画みたいにハフハフしながら麺を口に運ぶ。麺は、地元小名浜の「諸橋製麺所」謹製。ツルツルではなく程よい粉感があり、歯ごたえがいい。噛むと小麦の香りがする。適度に噛み砕いて麺を飲み込むと喉越しよくツルッと入っていく。鶏ガラ&豚ガラベースのスープはシンプルで永遠に飽きがこない。控えめの背脂が旨味を引き出し、口に含むと舌の両側がしっかりと旨味を捉えていくのがわかる。チャーシューは薄味なので、それそのものを食べるというより、スープや麺と食べるのがいい。ぼくは大量のメンマをこの大判のチャーシューで巻いて食べるのが好きなのだ。クッソ、書いてるだけでよだれが出てくるぜ。


チーナンのラーメン(現在はかまぼこがなくなってしまった)

ちなみにだが、チーナンのラーメンには「かまぼこ」が入っている。いわきは、実は板かまぼこの生産が盛んだ。このかまぼこ、小名浜の隣町、永崎地区にあるかまぼこメーカー「貴千(きせん)」のかまぼこである。なぜメーカーの名前まで知っているかというと、何を隠そう、ぼくは2012年から3年間、そのかまぼこメーカーで広報・営業として働いていて、週に2回はチーナンにかまぼこを配達していたのだ。

(実はこのかまぼこ、記事を書いた2021年時点では乗っていたのだが、その後原油高などの影響で商品の価格改定があり、その際にカットされてしまい、今は乗っていないのでご注意いただきたい(筆者・注))。

配達するたびに、女将といろんな立ち話をしたなあ。女将はふたりともSNSも使いこなすから、ぼくの状況も筒抜けになっている。以前、断食ダイエットをしてげっそりとやせたときには「リケンちゃん、やせすぎはダメよ。ちょっと恰幅あるくらいじゃないとダメだがんね」と釘を刺されたし、腰痛のツイートをすれば、「なんだって腰、大丈夫げ? ちゃんと布団と枕、合ってんのげ?」と心配してくれる。この人気食堂で日々食事を提供するだけで相当疲れているはずなのに、どんなに忙しい時も、お会計の時にちゃんと声をかけてくれるのだった。いや、「オレは特別な客なのだ」と自慢したいわけじゃない。ふたりの女将は、いろいろなお客に、こうして言葉をかけ、喝を入れている。