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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

8

「そこに行く」から始まること

2023年12月10日 公開

当事者でないと語りづらい原発事故の話

 2015年に独立してからずっとひとりで仕事をしてきたのだけれど、2019年からアシスタントを入れることにした。自分ひとりで働いていると、なにごとも行き(息)詰まってくるものだし、ひとりでできることには限界もある。年度末の繁忙期などは、報告書の駆け込み提出など仕事の量も増えてきて、なんともかんとも手が回らなくなってくるものだ。要は「人手不足」に陥ったというのが募集の主な理由だが、理由はもうひとつあった。偉そうにいうと若い人たちに自分の経験を伝えたくなったのだ。

 震災と原発事故を経たこの福島県で自分が経験していることは、自分の中だけに閉じ込めていていいものとは思えなかった。人を育てるということを通じて、この経験をもっと外に広げていけたらいいなとずっと思っていたし、先行き不透明感でモヤモヤしている若者にちょっとした活躍の場を与えてみたら、案外みんな勝手に雄飛してくれるんじゃないか、とも思っていた。そういう世代になったんだなあ。

 まだ「アシスタント」という役割もないころ、ぼくのカバーしきれないデザインの領域で貢献してくれた「ゼロ代」のリョータくんに始まり、初めて公式に「アシスタント募集します」と宣言してすぐに長野の松本から駆けつけてくれた初代の久保田くん。そうそう、久保田くんに至っては、いわきに来たことはおろか、ぼくにすら一度も会ったことがないという状態で移住してきたツワモノだった。

 編集や執筆の経験がないのに異業界から飛び込んできてくれた2代目のリナちゃんは、うちを卒業したあと市内のNPOに入り、福祉の仕事に関わっている。もともと関心が高かった福祉の業界に繋ぐことができてぼくもうれしい。地元の福島大学をガッツリ1年休学して加入してくれた3代目のタケローくん。仕事についてあまり多くを語らないタイプだったけど、卒業後は都内の広告代理店に就職したみたいだ。どうやら地域創生などの案件を担当しているらしい。なんだよ。進路やキャリアのこと、ちゃんと考えてたんだな。

 原発事故のことも、震災のことも、いわきのこともぼくのこともよく知らないアシスタントだが、その存在は案外心強い。文章で独りよがりな論理を展開しているときは、リケンさん、このあたりはちょっと……と意見をくれるし、見落としがちな誤字脱字を細かくチェックもしてくれる。アイディアに悩んでいるときには「壁打ち」の相手になってくれるし、超急ぎで仕上げなければいけない案件に打ち込んでいるとき、彼らが日々の業務を粛々とこなしてくれたおかげで、ぼくは厳しい仕事をなんとかやっつけることができた。

 そして目下、5代目のアシスタントとして大活躍中なのが、山形県鶴岡市出身の「まえちゃん」こと前野有咲さんである。栃木県の大学に通っているときにコロナ禍になり、学校で授業する意味を見出せなかったまえちゃんは、県外の地域ボランティアに参加。いわきの北、南相馬市の小高というところで2年ほどインターンし、大学卒業後の進路に迷っていたタイミングでぼくの「アシスタント募集」の噂を聞きつけ、新卒でうちの門戸を叩いてきたという、なかなかに行動派なアシスタントである。


アシスタント2年目。さまざまな現場に飛び込んでくれるまえちゃん

 小学校から大学までバスケットボール一筋。性格はこざっぱりしていて明るい。だれかと話しているときはたいていガハハと笑っている。髪は短く刈り上げられていて頻繁に色が変わる。一言で言えば体育会系というところか。そこはかとないヤンキー感もあり、小名浜育ちのぼくとも気が合いそうではある。一方、仕事は丁寧だ。この1年でかなりの数の現場に足を運んでいて、取材もすっかり任せているし、写真撮影もうまい。話が広がる会議やミーティングを記録してくれている議事録はいつも詳細だ。人付き合いも苦手ではないらしく、どんなコミュニティに入っても、いつの間にかその場に溶け込んでしまう。本人のモチベーションも高く、アシスタントとして初めて「2年目」の業務に突入したところだ。

 2023年の夏のある日、まえちゃんが真面目な顔で「休みをもらいたい」と声をかけてきたことがあった。一瞬「実家に帰らせていただきます」的な異議申し立てがあるのかと早合点してひゃっと怯んだが、福島第一原子力発電所の視察ツアーに参加するのだという。

 意外だった。そういうことに関心があるとは思ってもみなかったのだ。仕事中、原発事故や震災復興に言及することはほとんどなかったし、彼女の書いた文章を見てみても、そういう気配はほとんど匂ってこない。いや、そもそもそういうことに関心があるのなら、上司たるぼくの本は読んでくれているはずだけど、まだ読み終わってないと言ってたはず……(涙)。おおお、ついにまえちゃんもそういうことに興味を持ち始めたのか、いい心がけだ。思う存分見てきたらいいじゃないか。ぼくは二つ返事でオッケーを出し、まえちゃんは丸一日かけて福島第一原発を視察してきたのだった。


福島第一原発へ続く道(2015年撮影)写真提供:一般社団法人AFW

 意外に思われる方も多いと思うが、福島第一原子力発電所では、定期的に視察を受け入れている。と言っても、ウェブサイトで大々的に募集しているわけでも、旅行代理店にお願いすればいけるというわけでもなく、周辺の自治体や経産省などが窓口になったものがほとんどで、視察できるエリアも先方が指定した箇所だけなのだが、視察自体は粛々と受け入れてきた。

 ぼくも過去に3度ほど原発構内を視察している。やはり現場の力は圧倒的だった。建屋の壁に津波の跡がくっきりと残っているところもあったし、手元の線量計がビービーと警告音を発して毎時300マイクロシーベルトを計測した場所もあった。ぼくが最初に視察したころは、前線の作業員はみな放射線から身を守るために白いタイベックスーツを着てたっけ。視察したまえちゃんによれば、いまは構内の除染も進み、空間線量もかなり下がってきているようだ。極めて強い汚染源のそばでなければスーツを着ることもなくなり、視察客は普段の私服のまま視察できるようになっているという。そうなっていること自体が紛れもない「復旧」である。


1号機と2号機を見下ろせる法面から。一人でも多くの人が、ここからの景色を見てみてほしい(2015年撮影)写真提供:一般社団法人AFW


原発の中に入ると、さまざまなことを考えざるを得なくなる(2015年撮影)写真提供:一般社団法人AFW

 視察から少し経って、まえちゃんに感想を聞いてみた。「なんでまたこのタイミングでイチエフ視察しようなんて思ったの?」

「ツアーとか、行ける機会があるときには行こうと前から思ってたんです。たまたま去年(2022年)、市がお知らせしてるツアーがあるのを教えてもらって視察に参加したのが1回目でした。去年と今年とで、原発の中で見るものとか、情報とかが変わるのか知りたかったのはあります」

 行けるときには行きたい。そういう言葉が出てくるということは、むしろ以前から興味があったということになる。自分なりに向き合ってきたということなのだろうか。それでぼくは思い切って聞いてみた。「まえちゃんにとって、福島第一原発ってどんな場所?」。いかにもぶっきらぼうで強い口調なのは自分でもわかっていたけれど、そう聞いた。

 まえちゃんは「うーん……自分にとって?」と言ったきり押し黙ってしまった。そして、重苦しい沈黙のあとで、こう切り出した。「なんか自分にとって、っていうより、誰かにとって原発はこうって話が先に出てしまって、自分にとってなんなんだろうってことは……。いま関わっている人たちにとってどうなのかってことは考えますかね。その人の活動のテーマだったり人生の転換点になってたりするんだろうなって……」。

 まえちゃんの沈黙が気になりながら、「だれか他者が介在しないと原発について語りにくい、考えるスイッチが入らないみたいなこと?」とぼくは言葉を重ねた。だが、まえちゃんは再び「うーん」と言ったきり、また言葉が出てこなくなってしまった。

 まえちゃんの語りにくさ、自分の問題としては語れないという心境の背景にはなにがあるんだろう。「でも、自分ごととして考えなくちゃ、とは思ってんだよね?」と聞くと、「はい」とまえちゃんは首を縦に振る。

 「あのとき一緒に視察した友人とも、自分たちはあそこでは発言できないよねって話になって。なんだろう。やっぱり、当事者ではないし、私は福島に来て3年になりますけど、そこまでアテンドとかしてきたわけじゃないし、よそから来た人に正しく復興の現状を伝えられるかって言われると、そうではないな……と思ってて」

 「正しく語らなきゃと思ってること? それはなにについて?」

 「事実に対して……ですかね。たとえば、1号機と3号機と4号機は水蒸気爆発したけど2号機は爆発しなかったとか、双葉郡内のどこの町の避難指示がいつ解除になったのかとか、地域の復興に関する情報とか……」。

 「そういうのを知らないと語りにくい、語ってはいけないと思ってるってこと?」

 「そ、そうですね……」


3号機の原子炉建屋。現在はさらに復旧が進んでいる(2015年撮影)写真提供:一般社団法人AFW

 じつは、そのツアーの直後、ツアー企画者や参加者とおしゃべりするイベントに、ぼくもまえちゃんも参加していた。ぼくはいつも通り調子に乗っていろいろな話をしてしまったが、まえちゃんはツアーについて、原発事故について、一言も話をしていないように見えた。ぼくはそれがずっと気になっていた。震災や原発事故は、やはり語りにくいのだろうと思う。その語りにくさは、どこから来るのだろう。正しく語らねば被災者に迷惑をかけてしまう。そもそも自分たちは震災を経験していないから語る資格がない。正しく語らなければ、逆に風評を引き起こしてしまうことになるかもしれない。正しく語れない自分たちは語ることは難しい。そんなところだろうか。でもそうやって被災者・当事者に配慮するうちに、少なくない人が実際に震災を語らなくなり、それが風化をつくり出してるんじゃないか、とも思う。


福島第一原発のある双葉町のある住宅地。アート作品の展示やまち歩きなども開かれるようになっている

 「でもさぁまえちゃん、そんなことを言って語りにくいなんて言ってると、ほとんど語らないということにならない? それとも、震災って語りにくいよね、みたいな話ならけっこう出てくるのかな」。意地悪な聞き方だと思いつつ、そう聞いてみた。

 「それはけっこうありますね。私の場合は、今回みたいに私がどこかに行ってきて、こんなこと聞いたんだけどって話を振る感じなんですけど、地元がいわきだっていう友人たちは、そういう話を振ると会話のテンションが下がってきちゃって、あんまり考えたくないし、あの時のことは思い出したくないって雰囲気になっちゃうんです……」

 あっ、と思った。まえちゃんはむしろ、震災について考えたい。語りたい。そう思って友人たちに話を振る。すると、いわき出身の友人たちのほうが口をつぐんでしまうのだとすると、語りにくさを作っているのは、被災の外側にいたまえちゃんではなく、むしろ内側にいる地元の人たちとも考えられる。

 「考えたほうがいいとは思ってるんです」とまえちゃんは続ける。

 「誰かに話したり考えたりしないと、自分でいくらでも勝手な解釈ができちゃうし、逆に、いくらでも自分を否定し続けることもできるじゃないですか。いわきの友だちに震災の話を振ると、今になって、あのころの自分の言動は良くなかったんじゃないかと思う人がいて。あのころは子どもだったからよくわからなかったけど、いま思えば、避難してきた人たちにイヤなことを言っていたんじゃないかとか、あのころは楽しい思い出しかないと思ってたけど、どれだけ大変なことだったか今になってわかるとか、いま解釈し直したときに自分を否定するような感情を持ってしまう人がけっこういるんだなってわかって。でも、誰かと話をすることで、これってこういう捉え方もできるんじゃないって提案もできるし、必要以上に自分を責めなくていいかもしれない。だから、考えて、話したほうがいいとは思ってるんです」

 心の復興には他者が必要だということを、まえちゃんは語っているのだと思う。そう思うのなら、もっと「震災について語ろうよ」と呼びかけてくれたらいいのに。「でも……」。

 「でも、いざ当事者を前にすると、間違えたらダメだと思っちゃいます。間違ったら怖いし、なんか、勇気を出して発言したところで、自分の発言に対して『そんな初歩的なこともわからないのか』と思われたらどうしようとか。自分で自分を守ってるだけかもしれないですけど……。それに、いま関わってる人たちを傷つけてしまうんじゃないかっていうのは、けっこうあります。怒らせてしまうかもとか。だから正しく語りたい。でも語れないから語らない。語ったほうがいいとは思ってるんですけど……」

 まえちゃんを萎縮させているもの。それはぼくかもしれないと、ふと考えた。ぼくのように、震災や原発事故について強い思いを持って活動している人たちが、まえちゃんの周囲には何人もいる。まえちゃんは、そういう人たちの思いを受け取らねばと思えばこそ「リケンさんたちを裏切るような言動をしてしてしまってはいけない」と思っているのだ。本当は関心がある。考えているし語ってみたい、話を聞いてみたいとも思っている。でも、ぼくらが、当事者たちの存在が、まえちゃんたちの発話を邪魔しているのだとしたら……。


福島第一原発構内。正面に4号機原子炉建屋(2015年撮影)写真提供:一般社団法人AFW