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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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重なり合う〈ふるさと〉

2024年1月15日 公開

1行のニュースでは伝えきれないこと

 少し前に、テレビでドキュメンタリー番組を見た。福島県の、小名浜からは少し遠いところにある海沿いのまち、浪江町についてのものだ。浪江には請戸(うけど)という港があって、うまい魚がたくさん水揚げされるんだけど(特にナメタガレイは最高)、浪江町は西の山間部のほうにぎゅーっと細長く伸びていて、その伸びた先に「赤宇木(あこうぎ)」という地区がある。ドキュメンタリーは、その赤宇木の住民を取り上げたものだった。タイトルは『ある家の記録〜帰還困難区域 浪江町赤宇木〜』。

 原発が爆発し、放射性物質を含んだ風は北西に吹いた。そこに赤宇木もあった。原発事故後、浪江町は全町避難となり町民は散り散りになって避難生活を送ってきた。2017年に居住制限が解除され、沿岸部や役場、駅の周辺では住民の帰還が始まったが、汚染の激しかった赤宇木などの山間部は依然として帰還困難区域のままだった。


浪江町西部の中山間地域にある赤宇木地区(撮影:木田修作)

 事故から12年後の2023年3月。赤宇木に先駆けて、山間部のいくつかの地区が「特定復興再生拠点」となり規制が解除された。赤宇木はそこには入っていないが、再生拠点に通ずる道路沿いの20メートルが除染・建造物解体の対象となった。番組は、赤宇木にある自宅の解体を決めた、ある家のご主人を中心に展開されていた。

 ご主人の家は、築170年にもなるそうだ。柱も梁もどっしりとした立派な家だった。通り沿いにある家だから、きっと、赤宇木の風景の一部になるような、地区の目印になるような家だったのだろう。画面を通じて、赤宇木の豊かさが垣間見えるようだった。ご主人たちは、長きにわたって一族の暮らしを支えてくれた家の最期を見届けたいと望んでいた。解体を担当する環境省にも、そう伝えていたようだ。

 だが、番組の後半で事態は思わぬ展開を見せる。ご主人に連絡がないまま、その家が解体されてしまったのだ。テレビカメラが密着していたから、解体の現場を取材されたくなかったのだろうか。「過去、現在、未来、すべてを否定された」と語るご主人の表情に、無念としか言いようのないものが見て取れた。

 ご主人たちがきょうだいや親戚に声をかけ、解体の前に「家の葬式」を執り行うシーンがとても印象的だった。ご主人たちにとって、家は自分たちだけのものではない。ご先祖からの預かりものであり、いずれは子や孫に引き継ぐべきものだ。その家は、ご近所さんや地区の住民同士との横のつながりに加え、時空を超えて縦にもつながっている。だからしっかりお葬式を執り行って、そして、終いを看取る。看取らなければいけない。そう考えのだと思う。

 だが、最期を看取る機会は奪われた。なぜ国は、環境省は、その委託を受けた業者は、その家を勝手に解体してしまったのか。ふるさととはなんだろう。家とはなんだろう。なぜそのふるさとを、家を、そこに暮らす人たちの思いを踏みにじるようなことを、国がしてしまうのだろう。原発事故が奪っていったものは想像以上に大きく、こうした形で今もなお被害を受け続けている人たちがいる。そんな思いが、暗い怒りと共にぐるぐると頭の中を這い回る、そんな番組だった。

 取材を担当したのは、地元福島のテレビ局、テレビユー福島の報道記者、木田修作記者である。原発事故が残した爪痕や住民避難、帰還困難区域の取材に長く関わってきた記者だが、この連載では、友人の「修ちゃん」と呼ぶべきだろうか。

 修ちゃんが、長く浪江町に取材に入っていたことは知っていた。「今日も赤宇木に入ってます」というメールが、たまにスマホに届いていたからだ。密着取材の期間は二年にも及ぶという。なにが撮影できるのかわからない日も、カメラマンが同行しない日も、修ちゃんは自らハンディカムを持って赤宇木に通い、ご主人たちの取材を続けていた。それだけじゃない。ドキュメンタリーの制作と並行して、赤宇木の話を文章にも書き綴っていた。

 修ちゃんは「やっぱ、考えてほしいわけです」と語り始める。「これでいいのかって。取材を受けて、ぼくに話をしてくれる人は『伝えて欲しい』って気持ちがあるわけじゃないですか。日々のニュースでは無理でも、それに応えていく必要がある。伝えることで、見た人に考えてほしいっていう気持ちは当然ありますよね」。

 ぼくも、かつては福島県内の別のテレビ局で記者をしていた。ぼくは、取材もほどほどに毎晩のように飲み歩いていた出来損ないの記者だったけれど、「見た人に考えてほしい」「判断する材料を提供したい」という気持ちはよくわかる。

 記者たちに与えられた時間はあまりにも短い。地方のテレビ局の主戦場は、平日夕方4時から7時まで放送される情報番組のなかの、ほんの30分ほどのニュースコーナーしかない。さっきまで和気藹々と地元の行楽情報を伝えていたアナウンサーが、「それでは報道フロアからニュースです」なんてコメントを出すところから始まる、あれだ。2分くらいのストレートニュースが5〜6本。5分くらいの特集が1本、あとは天気をじっくり読み上げたらニュースコーナーなんて終わってしまう。東京のキー局のニュースを流す時間もかなり長いから、地元のニュースを報じる時間は想像以上に短い。

 「やっぱ、普段のニュースじゃ短いよなあ」とぼくがつぶやくと、修ちゃんはこんな応答をしてきた。

 「1分じゃ伝えきれてないんですよね、その背景にあるものとか。だから、知った以上はちゃんと出さなくちゃっていうのが強いですかね。あのドキュメンタリーも、知っちゃったってこともあるし、それプラス、住宅の解体はずっと引っかかってるテーマだったんです。でも、ニュースでやると、『帰還困難区域では、住宅などの解体が進んでいます』って1行でおしまいじゃないですか。やっぱり全部伝えないとって。ドキュメンタリーでも端折ったところはあります。だから文章も書きたくなりますよね」

 帰還困難区域では、住宅などの解体が進んでいます。

 アナウンサーが読み上げる、たった1行のニュースの背後に、どれほどの諦めや怒り、無念が込められているか、あなたも想像してほしい。原発事故さえなければ、放射性物質が降り注いでさえいなければ、帰還困難なんて区域をつくらずに済んだ。家族の思い出を残しながら、10年以上もほったらかしにされ、野生動物に食い荒らされ、それでも「いつの日か帰らん」という思いをつなげてきたのに、まちの復興のために、あるいは新しい土地での暮らしのために家を解体せざるを得ない。それが1軒や2軒ではないのだ。ぼくがその思いをたった数行で代弁しようとしたところで、赤宇木のご主人の気持ちはおろか、同じような悔しさを感じた人たちの思いに寄り添うことは難しいだろう。


赤宇木の一部の道ぞい20メートルが除染・解体の対象に(撮影:木田修作)

 修ちゃんは、日々の取材やデスクワークの傍ら、現場に足しげく通い、ご主人と時間を共にしてきた。ニュースの限界を感じながらも、ならば長編のドキュメンタリーだ、それで書ききれないものは文章だと、さまざまな手を使って伝えようとしてきた。あの番組をリアルタイムで見たのは、そんな修ちゃんの姿を間近で感じてきたからという理由もある。