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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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「被災地」であり、「被災地」でなかった双葉高校で

2023年10月22日 公開

卒業生ガイドによる双葉高校視察

 双葉高校に着いた一行は、二つのグループに分かれた。片方には2人のOB(2人とも野球部出身だという)が、もう片方には2人のOGが入り、校内を案内してくれることになった。ぼくはOGのほうグループに加わった。人気のない校舎に、集団がぞろぞろと入っていく。

 2人のOGは、校舎に入るなり「キャーッ」と声をあげた。その声が悲鳴ではないことはすぐにわかった。その声に、かなりポジティブな響きがあったからだ。周囲の草木がうっそうと伸び、当時とは変わり果ててしまったはずの校舎だが、一瞬、血が通ったようになった。声の出し方に遠慮がない。ほんとうの高校3年生の話し声のようだった。2人は仲良しだったのだろうか。互いに肩を叩き合ったり、腕を組み合ったりしながら、「うわー」「なつかしい!」という声をあげ、自分の家の庭を歩くように、ぐいぐいと進んでいく。

 「ここは、上級生の溜まり場になってたんです」

 「先輩に告白するときとか、女子がここに来てたよね」

 「この自販機、なつかしい! めっちゃ買って飲んでた!」

 「うわ、まだ先生の名札がついてる」

 「ここのクラスは、ちょっとヤンチャな子が多かったんです」

 2人から出てくる言葉は、当時の思い出ばかりだった。それは、ぼくが想定していた「被災地ツアー」なんかではなかった。ほんとうに自然に、知り合いを連れて自分の高校を案内するような、そんな雰囲気があるだけだったのだ。2人のガイドにくっついていく若手社員たちは、2人があまりに楽しそうに、そして鮮やかに当時の思い出を語るので、逆に質問しにくいような、原発事故の話を振りにくいような、少し戸惑っているような感じに見えた。

 ツアーを体験するぼくたちと、2人のOGとで、見ている風景はだいぶ違っていただろう。ぼくたちは、どうしたってこの場所を「被災地」として見てしまう。だから、原発事故の被害を端的に表すものに目がいく。同じ音楽室を見ても、同じ実験室を見ても、ぼくたちは壁や時計を見て「こんなに色褪せてしまったのか」とか「時計が2時46分のままだ!」などと感じるけれども、おそらく2人は、震災前にあった時間や具体的なエピソード、輝かしい思い出を見ていたにちがいない。

 ましてや2人は「被災地ガイド」でも「語り部」でもない。つまり、語る言葉が「外向き」ではない。2人の言葉は、2人の親しい関係性の内側で語られるものだった。もし2人が震災の語り部だったら、事前にぼくたちの属性や理解度、福島に来た回数などに合わせて説明を補足しながら、被害の状況や被災者としての気持ちを語ってくれただろう。

 だが2人の言葉はそうではなかった。だからこそリアルで、痛切で、この場所への愛着が強く感じられたのだった。ぼくは、涙が流れてくるのを我慢できなかった。こんなツアー、今まで初めての体験だった。被災地である双葉、被災地でなかった双葉。悲しいほどにはっきりとした光と影が、また再び、廊下や教室に見えた気がした。


生徒たちの声が響き渡った校庭には、12年分の草木が生えていた

 2人がぼくたちに校内を案内してくれた30分ちょいの時間。一言も、ほんとうに一言も、原発事故や震災に関する言及がなかった。その事実に、ぼくは打ちのめされた。OB2人のほうについて行った吉川さんによると、そちらのガイドも同じような感じだったようだ。卒業してからだいぶ時間が経過していたこともあり、高校時代の記憶も少し曖昧で、2人で記憶を辿っていくようなガイドだったという。

 ぼくは、OB・OGが母校を案内するのだから、原発事故後の暮らしや、原発事故そのものについての思い、学校が再開できないことやふるさとを奪われたことへの怒り……などが語られるものだと思っていた。そして、まさにそのリアルな言葉を、中央のメディアの若手たちにぶつけることで、彼らの気づきや学びを促したいと思っていた。言い換えれば、ぼくは、わかりやすい「被災地ツアー」を期待してしまっていたわけだ。「被災地」や「被災者」をつくっているのはだれなのか。はじめの問いが、またぐるぐると頭の中を回り始める。