Now Loading...

連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

5

「被災地」であり、「被災地」でなかった双葉高校で

2023年10月22日 公開

「福島」の話ではない「私」の話

 ツアーを終え、OB・OGの4人がそれぞれの自宅へと戻る前、ツアーに参加した全員が校門前に並び、4人から一言ずつメッセージをいただくことになった。OGの女性が、こう言った。

 「このたびは貴重な機会を作ってくださってありがとうございました」。

 それを聞いて、ぼくはまた言葉を失った。この局面で、彼女たちは頭を深々と下げた。母校を訪れる機会を作ってくれてありがとうと、我々に頭を下げたのだ。あり得ないことが起きていると思った。頭を下げるのはこちらのほうだ。

 ぼくはこの時、直感的にこう考えた。彼女たちは、やはりこの学校を「被災した学校」だとは見ていないのではないか。純粋に思い出の母校として見ているだけなのだと。でも、すぐにこう思い直した。いや、そんなはずがない。事実、この学校は長く休校のまま放置されてきた。校庭も校舎も、かつての風景とはかけ離れたものになっている。変わり果てた母校を見て、なにも思わないはずがないと。

 それほど、母校に来られたのががうれしかった、ということなのではないか。それは逆に考えれば、思い出の詰まった場所すら訪れることができない状態だったということである。それもまた双葉町が直面する現実だ。当然、悔しさや悲しさもあるだろう。目の前の双葉高校は、遺構にもならず、廃校にされることもなく、学校としても再生せず、更地になるのでも地域のコミュニティになるわけでもなった。卒業生たちは、この間、二重、三重の喪失感を味わってきたのだと思う。

 それなのに、OGの2人は、「福島」の話をしなかった。特別な体験をし、大きな悲劇を背負った福島ではなく、とてもプライベートで、とても個人的で、本人にしかわからないようなことだけを語ってくれた。たぶん、だからこそ届いたのだ。2人が「福島」ではなく「私」の話をしてくれたから、それを聞いたぼくたちもまた、「福島の話」ではなく「自分自身」の話に置き換えながら2人の話を聞くことができたのだろう。話を聞いていた若手社員たちも、自分の高校や、自分たちのふるさとにも起きうることとして受け止めていたように思う(夜の打ち上げで、たしかそんな話をしてくれた記者がいた)。


立ち入り禁止の張り紙が貼られ、中に入ることはできない。平成23年当時の張り紙がそのまま残されていた

 と同時に、改めて、自分たちの持つ強さ、暴力性に気づかされる。ぼくたちは、よそ者であるがゆえに、その土地の風景や、その土地に起きた事実を容易に(ぼくがそうしているように)「コンテンツ」にしてしまえるし、卒業生すら入れない高校に入ることもできてしまう。2人のOGが見ているのは、思い出の詰まった校舎だが、ぼくたちが見ているのは、被災してボロボロになってしまった校舎である。そこに、圧倒的に非対称な関係がある。そこで感動し、涙を流しているぼくたちは、悲劇の土地に寄り添っているようで、じつは心のどこかで、その地域を悲劇の土地に固定し、消費しているのだろうと思う。

  この話は、なにも双葉町だけに限った話ではないよな、とも思う。近隣の双葉郡の自治体、ぼくの暮らすいわきにも当てはまるし、県外の、なにか過酷な出来事を体験した、あるいはいまなおそれが続いているような地域にも当てはまるだろう。ぼくたちはどこかに出かけて「好奇」の目線を向ける。「学び」とか「気づき」とかいう言葉で繕ったとしても、そこには強い非対称性が出現する。だからこそぼくたちは、なんらかの形で支援したり、応援したり、真剣に地元の人たちの話を聞こうとするのだ。けれど、そうしてまじめに考えるほど、今度は目の前の人を「苦しんでいる人」とか「不当な扱いを受けている人たち」の立場に押し込んでしまうことにもなってしまう。なんとも悩ましい。

 自分がこの場所に、圧倒的な強者として立っていることが申し訳ない気もするけれど、受け取ったものを、よそ者として自分の住処へと持ち帰り、こうして別のかたちにして伝えていこうとすることもまた、当事者ではないからできることだ。自分がしていることの暴力性を自覚しつつ、新しいものを見聞きし、人に会い、身悶えし、そのつど、自分の考えや行動を更新していく。そうしている限り、ぼくはこの日見たもの、2人のOGたちの声を忘れることはないだろう。あるいは一方的で非対称な消費から逃れる迂回路も、そこで見つかるかもしれない。

 それに、ぼくがそうであるように、そして小名浜がそうであるように、人も地域も「被災」は一部だ。それだけがその人や地域の全人格ではない。被災地であり、被災地ではない。復興したようで復興しておらず、状況は変わらないようで変化している。そういうはっきりしないもの、流動的なものを、はっきりしないまま受け止めるし、楽しめるときには全力で楽しむ。そんなことしかできないのではないだろうか。被災と非被災、被災と未災、その両端を握りしめて、両方を行き来して、こういうと変に聞こえるかもしれないけれど、いっしょに一喜一憂していくほかないのかもしれない。


その土地の歴史を引き継ぎながら、新しく生まれ変わろうとする双葉駅前


12年間の町の移り変わりを、川はどのように見つめていたのだろう

(本文中、バナー写真すべて:著者/バナーデザイン:渋井史生 PANKEY inc.)

(つづく)