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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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温泉宿・古滝屋の原子力災害考証館

2023年9月1日 公開

ホテルのなかの考証館

2021年3月12日。古滝屋の9階にちょっと不思議な場所ができた。「原子力災害考証館 furusato」という展示ルームだ。宴会場だった20帖の部屋を改装したもので、原発事故に関係する写真パネル、遺品などが展示されている。書籍や資料、地元で配布されているパンフレットなどもあり、展示は大変充実している。


9階に完成した原子力災害考証館。宿の一角に馴染んでいる


1階の情報サロンに積み上げられた当時の新聞や資料。生々しい言葉が並ぶ

オープンしてからすぐの休日、風呂ついでに考証館を訪ねた。部屋の中央にランドセルが展示されていて、ランドセルのそばには、色あせたピンク色のマフラーも展示されていた。近づいて見てみると、ランドセルとマフラーは、福島第一原子力発電所のある大熊町の砂浜で亡くなった木村汐凪(ゆうな)さん(当時7歳)のものだと紹介されていた。黄色い通学帽をかぶった汐凪さんご本人の写真や、汐凪さんの捜索風景の写真なども併せて展示されている。里見さんによれば、汐凪さんのお父さん、木村紀夫さんが展示のために貸してくれたのだそうだ。


考証館の展示の様子。木村汐凪さんゆかりのものが触れられる状態で置かれている

ぼくは知っていた。大熊町の砂浜で、行方不明になった娘を探し続ける男性のことを。大熊町は原発事故による放射能汚染の影響で迅速な捜索ができなかった。男性は、繰り返し繰り返し娘の名を呼び、土を掘り返した。何度も何度も娘を捜索する父の姿は、ついには風景になった。5年半が経過したある日、遺骨の一部が見つかった。顎の骨の一部がピンク色のマフラーについていたのだという。
考証館を訪れるすこし前、べつの方に震災がらみで取材したときにも、この「娘を探し続ける男性」の話を伺っていた。その方は「メディアは震災10年と区切るけれど、家族を失ったり、家族を探し続けてきた方に対して、『震災10年ですね、どんなお気持ちですか?』なんてことを聞けますか?」という話していた。
マフラー、ランドセル、木村汐凪という名、砂浜を捜索し続けた男性のエピソード。断片的だったものがすべてつながった。ああ、これだったのかと納得できた。そして、断片的なものがつながったがゆえに、目の前に展示されたランドセルとマフラーが「現物」であるという事実を思い出し、再び狼狽した。

え? これがその時のランドセル? 現物? マフラー? え? 展示してるの?

汐凪さんのマフラーは少し汚れ、色あせていた。3月11日からの時間を、震災前からの汐凪さんの人生を、そして、家族との暮らしを思った。どれほど父の名を呼んだろう。父は、どれほど娘の名を叫んだだろう。二人の声を想像すると、もう涙を流すことしかできなかった。


小さなランドセル。現物が訴えかける力は、とても大きいなと感じた


遺品の数々。ガラス越し、ではなく、本当にそこにある

ぼくのとなりには、さっき風呂を上がったばかりの7歳の娘、佐和がいた。佐和は狼狽するようなそぶりもなく、むしろとても自然な手つきで、クラスメートのそれを触るような感じで、展示されているランドセルやマフラーに触れていた。なんと、この展示は「触れる」ことを許された展示だったのだ。
佐和に、汐凪ちゃんの身に何が起きたかを説明した。佐和は、少し悲しそうな顔をしたが、やはりその目の前の現物が気になったようで、写真を見たり、マフラーに触ったりし続けていた。そしてこんなことを言った。「汐凪ちゃん、きっと天国から見てるよ」。佐和は、「女の子」とか「おねえちゃん」とかではなく「汐凪ちゃん」と、はっきりその名を呼んだ。


震災直後、家族を探すために作られたチラシ

ぼくの後ろでは、里見さんが展示について来場者に説明している。ツアーで来たのだろうか、原発事故の影響について質問を重ねる女性もいれば、ぼくたちのように風呂のついでに来たと思しき男性などもいた。数分で立ち去る人もいれば、しばらく立ちすくんで呆然と展示を見つめているような人もいる。展示室としては少し手狭だが、狭いぶん、そこにいる人たちの心の声が聞こえるような気もするのだった。
現物の強さは圧倒的だった。しかもこの展示には、実際に触れることができるのだ。木村さんにとっては、大切な大切な娘さんの遺品である。誰かがいたずらしたり、盗んだりしてしまうことを想定していなかったのだろうか。いやそれ以前に、大切な娘の遺品とあれば、自分のそばに置いておきたくなるものだろうとも思う。しかしそれでもなお、多くの人たちの目に触れるところに「触ってもいい」という形で展示することを、木村さんと里見さんは決めた。二人の間には強い信頼があるのだろう。公の展示館や伝承館にはできない芸当だと思う。
だれかの遺品に触れることができる。そんな展示ルームを、少なくともぼくは体験したことがない。だから、「触ってもいい」と言われたとき、正直戸惑った。けれど、常識外れの展示だからこそ、原発事故、原子力災害がもたらした理不尽を伝えてくれるのだとも思う。ぼくは、汐凪さんのマフラーの淡いピンクを一生忘れないだろう。


発見された顎の骨の写真とともに展示された、ピンク色のマフラー

(この文章を書いた少しあと、2022年の1月に、大熊町で汐凪さんの大腿骨と見られる遺骨が見つかった。沖縄で戦争犠牲者の遺骨を収集する活動を続けている具志堅隆松さんが木村さんを支援するために大熊を訪れ、二人で捜索していたときにそれは発見された。具志堅さんは、遺骨に関する情報を収集するため、この考証館にもやってきたという。木村さんによる汐凪さんの遺骨捜索は今なお続けられている。考証館は、その意味でも現在進行形なのだ。)