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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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温泉宿・古滝屋の原子力災害考証館

2023年9月1日 公開

若旦那の心意気

里見さんと話していると、いつもあっという間に時間が経過する。里見さんは、少しゆっくりと話す。声も、ぼくのように馬鹿にでかいわけではないので、里見さんのゆったりとしたリズムに合わせていくようなイメージでお話を伺う。それは案外心地よく、気づくといつも2時間くらい経過しているのである。一方の里見さんは、焦る気配はなく、「次の仕事あるんで」みたいな雰囲気を出すこともないので、ぼくはついつい話に聞き入ってしまうのだった。
だが、その柔和な表情とは不釣り合いなほど、里見さんは重大な決断をいくつかし、ホテルをつくり替えてきた。たとえば、原発事故直後、いわき湯本温泉の多くのホテルが作業員を受け入れることで経営基盤を立て直していたとき、古滝屋は作業員ではなくボランティアを積極的に呼び込んだ。里見さん自らマイクロバスを運転し、スタディツアーまで行っていたほどだ。考証館のできる前にも改装を行っている。1階フロントの脇、400種類の地元産品を取り揃えた自慢のお土産ショップをぶっ潰して、「情報サロン」につくりかえたのだ。

震災後、里見さん本人もあちこちにボランティアに行ったそうだ。そのたび、現地で配られた配布資料や、復興に関わる団体のパンフレットなどを持ち帰った。プリントが溜まり、置き場に困るようになったとき、情報サロンにするのはどうだろうというアイデアが生まれたそうだ。
情報サロンを立ち上げると、自然にそこに人が集まるようになった。人が集まると、多様な情報も集まってきた。そのうち、震災や原発事故について知るには、情報だけでなく地域の文化や歴史について知る場もあったほうがいいと考えた里見さんは、情報サロンをさらに拡大。関連する書籍を集め、読書スペースをしつらえ、そもそもあったロビーともつなぎ合わせて、1階のフロアのほぼすべてを「交流サロン/資料館」として作りかえてしまった。ぼくは、その一角で里見さんに話を伺っている。


1階は大きな交流サロンになった。さまざまな催しが開かれている

この宿は、里見さんの理想通りに近づいているのだろうか。少し前に里見さんに話を聞いたとき、こんなことを言ってたのを思い出した。「古滝屋を、昔あった湯治場に戻して行きたいんです。豪華な料理も、立派なお部屋もないかもしれない。でも、ゆったりと体を休め、地域のひたちと言葉を交わし、心も体も癒せる。人の集う湯治場に戻すのがぼくの目標なんだ」と。

今にもその気持ちは変わりありませんか?  と里見さんに質問した。すると里見さんは「あの頃は若かったからなあ」というような感じで少し照れたような顔をし、手元にあったファイルから、2枚、紙を出した。「この10年ね、いろいろやってきた。まあ失敗もしたし、うまくいったこともあった。それでねえリケンくん、この10年で感じたことを、紙に書き出してみたんだ」。里見さんはそう言って、イラストと文章が書かれたA3の紙を見せてくれた。
驚いた。そこに描かれていたのは「湯治場」ではなくもっと大きなスケール、湯治場を中心とした温泉街そのものだったからだ。風呂のそばに、交流施設や体験施設があり。山の斜面に沿って畑がある。太陽光や風力を使った発電施設があり、子どもたちの学び舎もある。地域の保護猫や保護犬と交流する場所も描かれていた。湯治場の先の先を、里見さんは夢想していたのだろう。

「まちづくりには失敗したなあ。まちづくりはほんとうに難しいね」と里見さんが言った。あれほどまちづくりに傾倒していた里見さんからこんなことが語られるとは、にわかに信じられなかった。驚いたぼくを尻目に、里見さんは話を続ける。「リケンくん、まちづくりはほんとうに難しい。まちとか観光って、本来の暮らしの延長にあるものでしょう。丁寧な暮らしのひとつ一つに光があってさ、それを楽しむだけで観光になる。そういうまちづくりを目指してたんだけど、そこから理解してもらうのは本当に難しくて。みんなそれぞれにやりたいことがある。それを押し通そうとすれば、批判の応酬にもなるだろうし。そういう意味でね、ぼくはこの10年ですっかり、まちづくりは失敗だったと思ってるんですよ」
ではこの紙に描かれているのは何か。「これはね、町じゃなくて村をイメージして描いたやつなんだ。新しく国をつくるのも難しいから、村づくりからもう一度やらないとダメだと思って。じつは、湯本の山のなかに、開発予定が頓挫したままの土地があって、そこでできないかって思ってるんですよ」
おおおぉ、すごいですね……と間抜けなリアクションしかできないぼくに、里見さんはもう1枚の方の紙をくれた。そこには、10項目くらいの箇条書きのメモが残されていた。その中に、こんな一文があった。

「原子力災害を経験したことは強みだ」

この10年間、何度も何度も似たような台詞を聞いた気がする。原発事故直後、国の復興構想会議で特別顧問を務めた哲学者の梅原猛さんが、原発事故を「文明災」と定義したことをふと思い出した。原発事故は、この文明がもたらした災禍なんだ。経済や原発に頼らない、世界の模範となるような新しい国をつくらなくちゃいけないんだと梅原さんは語っていたはずだ。
いや、梅原さんがそう語るよりも前に、この土地に暮らすぼくたちこそ、そう思ったと思う。この町が復興する暁には、経済一辺倒ではなくて、大きな産業に依存しない地域にしなくちゃいけない。これまでの経済のあり方を反省しなくちゃいけない。身の丈にあった復興を、自分たちが主体的に作り上げなくちゃいけない。そういう未来を、子どもや孫たちに残したいと。
10年で、それは「現実」に取って代わられた。それでも里見さんは、一人の経営者として、温泉旅館の旦那として、文明災後の地域や旅館のあるべき姿を構想し続けてきたということではないのか。その試行錯誤のなかに、旦那自ら観光客を連れて回るスタディツアーがあり、情報サロンがあり、考証館がある。里見さんは、ひとつひとつ着実に積み重ねてきたとも言える。

「ぼくはね、リケンくん、原子力災害を通じて学んだこと、気づかされたことは、みんな財産だと思ってるんです。みんなあのとき、これじゃダメだ、これは直さなくちゃいけないって、事故のあとに考えたでしょ? あれみんな忘れちゃったかもしれないけど、あそこで気づいたことは財産なんじゃないかなって。ぼくはね、あのときに感じたことを自分でできる範囲でね、少しずつやってるだけなんだと思ってますよ」


古滝屋外観。巨大なホテルを「減築」するのが目標なのだと、里見さんは語っていた

里見さんは、この10年、ずっと考え続けてきたんだなとぼくは理解した。時間が経過するうち、多くの人は、原発事故について、震災について考えなくなった。それが復興だからだ。
災害は、地域にある種の高揚感をもたらす。東日本大震災は規模も大きく、国民からの税金をいただき膨大な復興予算もかけてもらえた。その賑わいや高揚感が「復興バブル」なんて言葉で揶揄されたこともある。だが、いずれバブルは弾ける。祭もいつかは終わる。人々は次第に、日常の暮らしを取り戻す。いつまでも、復興とはなにか、震災や原発事故が奪ったものはなにかなんて考えていても仕方ない。飯も食えない。けれど、ぼくたちは決して忘れたわけではないと思う。心の中に、記憶の中に、ろうそくの芯のようなもの、火種のようなものを、いつも抱えている。決して忘れたわけではない。それは福島の外に暮らすあなたも同じではないだろうか。ただ、自分一人では、なかなか火を灯すことができないだけで。
だから里見さんは今なお考え続けている。どうやって、その種に、震災と原発事故を、地域の未来を考えるための火を灯すかを。思えば、温泉宿とは、多くの人が疲れを癒しに来る場所であり、旅を楽しむ場所であり、非日常を楽しむ場所であり、初めて福島を訪れる人がたどりつく場所であり、家族と過ごす場所でもある。多様な人たちが集う場所だからこそ、里見さんはそうして「きっかけ」という着火点をいくつも用意している、ということなのではないだろうか。

「宿の話とは関係ない話なんだけどさ」と、里見さんは話を続ける。「メルケルさんがなにかの演説するときに、こんな話してたの。ドイツには大きな党が4つあって、みんな政治的な立場も政策も明確に違う。多様なんだと。なんでそうなったかって、かつてドイツは一党独裁で多くの犠牲を生み出した歴史がある。その反省があるから一党独裁にならないよう多党制になった。今の政治は、過去の反省の上にあるんだってメルケルさんが話してた」

同じですね。ぼくは思わず口を挟んでしまった。

「そうだね。考証館も、情報サロンもさ、あの原発事故の反省の上にあるんじゃないかな。そもそもぼくらだってさ、バブルの時期に、歴史ある木造の宿をみんなで鉄筋造りのホテルにつくり替えちゃった。経済は全て上向きで、人口も増える、ずっとずっと成長するんだって思い込んでた。それを壊したのが原発事故だったんだよね。だから、経営者としても考え直さないといけない。いやあ、増築は簡単だけど、減築ってほんとうに難しいんだよ。でもね、やっぱりぼくは、新しい社会を、いや、まずは村からかな、つくりたいと思ってるんですよ、リケンくん」

おしゃべりの時間が終わり、古滝屋の「あつ湯」に浸かりながら、ぼくは里見さんの言葉を思い出していた。最後に、まさか「反省」という言葉が出てくるとは思わなかった。ぼくはこれまで、原発事故の被害者としての側面ばかりを考えてしまっていたけれど、野放図に広がり続けてきたこの経済一辺倒の社会のどこかで、ぼくたちは加害者の側に立っていたのかもしれない。ああ、これが人災の、原子力災害の難しさというやつか。

3分としないうちに、汗が内側から吹き出してくる。ぼくはわざと大げさに「あっちぃぃぃ」と声を出して風呂から立ち上がり、窓から眼下に広がる湯本のまちを見下ろす。かつて石炭産業が栄えた頃、ここから見える景色、ほとんどみな炭鉱長屋と温泉宿だけだったという。エネルギーのこと、人の命のこと、集うこと、言葉を交わすこと、そして心を癒すこと。そんなことを考えるのに、この宿ほど適した場所はない。そんな宿を日常的に使えるいわき市民、やはり最高だ。
体はすっきりしたはずなのに、考えても考えても、何かクリアな答えは出てこない。こうすべきだという結論も出てこない。きっとこの連載も、すっきりするなにかを出すことはできないと思う。だからこそ考え続けることはできるし、考え続けるというとき、その思考の相棒として、温泉という存在は本当に心強い。温泉の力を借り、ビールを飲みながら、家族で、またいろいろな話をすればいい。そうだな。まずは今夜、佐和と汐凪ちゃんの話をするところからだな。そんなことを考えながら、ぼくは汗が噴き出る体をタオルで拭き、風呂をあとにした。


展示を見て考えに考えたら、大浴場へ行こう

(本文中、バナー写真すべて:著者/バナーデザイン:渋井史生 PANKEY inc.)

(つづく)