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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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温泉宿・古滝屋の原子力災害考証館

2023年9月1日 公開

悲劇の伝承と語りにくさ

展示を見てから少し経ったある日、里見さんを訪ねた。なぜ、あんな展示室を作ろうとしたのか。現物に触れられる展示だなんて、里見さんはいったい何を考えていたのか聞きたかった。

里見さん、こないだの展示、ほんとうにすごかったです。よく現物を、しかも触っていいなんて形で展示されましたね……と話を向けると、「木村さんには『パネルで十分だ』って言ったんだけど、持っていくって木村さんが言ってくださったの」と里見さん。里見さんすら想定外の反応だったそうだ。「ぼくが常駐するわけじゃないし、セキュリティを充実させる余裕もないって言ったんだけど。それでもいいって。だから甘えて展示させてもらったんです。それにね、現物があるおかげで木村さんも頻繁に来てくれるし、細かく展示物を増やしたり、調整したりしてくれてて。ここだと不思議と木村さんも案内しやすいんだって」。

そうか、木村さんも頻繁に来てらっしゃったのか。いろいろな覚悟、思いがあってあの展示に結びついたのだろう。本当だったら、娘の遺品だもの、仏壇のそばに置いておくとか、そういう類いのものだろう。それでもなお展示したいと考えた木村さん。ぼくたちに伝えたいことがあるということなのだと思う。里見さんは話を続けた。

「相当な覚悟、信念があったと思いますよ。不特定多数の人が見る旅館ですよと言ったけど、それでもいいって。でもね、いざこうして展示してみると、ぼくが感じたのは、不思議な話なんだけど、汐凪ちゃんがあそこで代わりに喋ってくれてたんじゃないかって。多分、あそこで喋ってくれてたから、伝わったんじゃないかなって思うんですよ」


畳の部屋なので、腰を下ろして展示に向き合う方も多い

なんとなくわかる感覚だった。娘も、そう感じたのかもしれない。だから「汐凪ちゃん」と名を呼んだのだと思う。来場した人も、展示を通じて汐凪ちゃんの声を聴こうとしたはずだ。なんとなく、五感を総動員しながら展示を見ている人が多いように感じられた。そうしなければいけない切迫したなにかを、あのランドセルとマフラーが発していたからだと思う。それは「汐凪ちゃんの声を直接聴く」という行為に近かったのではないか、とぼくは思う。
震災について語り合うような来場者が多いようにも感じた。里見さんと話をする人だけでなく、グループの中でお話をする人、里見さんの解説する輪のなかに入って、いろんな質問をする人。あるいはぼくのように、子どもに向かって話しかける人もいた。公設の伝承館だったら、お喋りはダメ、静かに見ようという空気を感じて声を発しづらかったかもしれない。でも、ここには、なんとなく話しやすい雰囲気があった。こぢんまりとしているからかな……。

「いろんなところからお客様がきますよ。首都圏だけじゃなく、北海道から大阪から、沖縄という人もいたね。皆さんおっしゃってたのはね、自分の周り、同僚とか友達たちと原子力災害について話したいんだけど、喋るきっかけもないし、喋り出したら変な人扱いされるんじゃないかと心配して話せなかったんだと。でも、ここがあったおかげで話せた、楽になったとおっしゃるんです。展示自体はとても悲しいし、気持ちが落ちてしまう内容かもしれないけど、話せてスッキリしましたという方がとっても多くて。これは良かったなって思ってるんです。こういうことは、50億もかけてつくった伝承館には逆に難しいかもしれないね」

里見さんが言う「50億出して作った伝承館」というのは、福島県の双葉町にできた「東日本大震災・原子力災害伝承館」のことだろう。ぼくも何度も見に行っているが、たしかにお金がかかってることはすぐにわかる。冒頭のムービーからしてすごいのだ。展示室を入るとすぐ、横幅が軽く10メートルくらいあるスクリーンの部屋に案内され、そこでオープニングムービーを見る。俳優の西田敏行さんが絶妙な福島弁を交えながら「震災の光も影もここでみんなと一緒に考えられたら」と訴えかける内容なのだが、なんだか広告会社が制作した宣伝ムービーのように思えてしまった。

広範な展示をしなければいけないし、個別の事象を深く深く掘り下げるようなものは展示しにくいのかもしれない。それに、この場所は風評を打破する、払拭するという役割が課せられている。訪れる人たちに、正確な情報を伝えなければいけない。そのことが、展示のきめ細やかさを欠く背景にあるのかもしれない。展示されているものではなく、むしろ展示されないもの、収録されない声というものも数多くあるのだろうな、と思わずにいられなかった。いっぽう里見さんには、自治体の伝承館には伝えきれない声を伝えたい、みんなと考えたいという気持ちがあるようだった。それは「考証館」というネーミングにもよく現れている。
「考証館」と名のついた場所は、熊本県水俣市にもある。水俣病センター相思社が運営する「水俣病歴史考証館」だ。里見さんは、2014年に水俣を訪れ、この考証館を視察した。市が運営する水俣病資料館、地元の果樹園や漁村なども訪れ、さまざまな人たちの声を取材したそうだ。そこで「公立の施設と、民間の施設、両方あって初めて公害の全体像が見えてくる」と強く感じたのだという。

「水俣から帰ってきて最初に、福島空港のそば、三春町にあるコミュタン福島っていう施設を見たときに、ああ、ぼくたちが農家の人たちから聞いている話とだいぶ内容がかけ離れてるなって思ってね。それで、やっぱり考証館のような場所が地域に必要だって思って。そのあと、地元の商工会とか議員なんかにも相談したけど、里見くん、それは難しいよって言われるばっかりでさ、じゃあ、自分のところでもできるんじゃないかって」。それで自分のホテルにその場所を作ってしまうのだから、やはりすごい。

里見さんが水俣で感じたのは、福島との共通点。人災であるがゆえの語りにくさだった。

「リケンくんね、原子力災害というのは人災でしょう。するとね、家族の中ですら被害者と加害者がいるっていう状況が生まれて、口が貝のようになっちゃう。語り部をお願いしますって言ったって、話すことなんてなんもねえって言われちゃうよ。これは水俣もそうだった。水俣だけじゃないな。広島にも、それから沖縄にもね、何十年も語れなかったって人がいる。今は語れなくても10年後、もしかしたら30年経って語り出す人もいると思う。だからね、その間の30年、きちっと記録を残し、お喋りできる場所があったほうがいいじゃない」

なんだか旅館の旦那と話している気がしない。旅館というのは、日々の悩みや苦しみから解放される非日常のサービスを提供する場所だ。宿にまで来て、暗い話や真面目な話なんてしたくないという人もいるだろう。だからもちろん、古滝屋にはラグジュアリーな部屋もあるし、女性専用の「天女の湯あみ」という展望露天風呂なんかもあったりして、観光気分にもどっぷりと浸れる仕掛けはある。けれど、ぼくは思うのだ。だからこそいいんだと。
まじめに、福島の勉強をしよう、原発事故を学ぼうと思っている人は、自分たちで学び、研究し続けることができる。自ら進んで伝承館のような場所にも行けるだろう。そうではなく、そういえばすっかり震災のことなんて忘れていたぜ、という人がたまたま泊まりにきた宿で考証館と出会ってしまうからいいのだ。まさかこんなことがあったなんて。自分の知っていた震災とちがう。そうやって大きな衝撃を受けるからこそ、再び震災のことに関心を持つようになったり、思い出深い記憶となって、震災を語り継ぐこと、忘れないでいることにつながってしまうのではないだろうか。そういう「誤配」の種が、古滝屋にはある。