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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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小名浜の中華屋で想像する「複数ある世界」

2023年9月26日 公開

「複数ある世界」の先で

「そろそろ2軒目いきますか」ということになり、お洒落でジャジーなラム肉ダイニングから、小名浜で一、二を争う場末の中華屋に移動した。
小名浜で酒を飲む人間ならほとんどの人が知っているであろう中華屋である。夜の2時くらいまで開いてるのでシメに使う人がほとんどだ。豚足が有名で、化学調味料がじゃしじゃしっと感じるくらい振りかけられている。指をチュパチュパしながら食うのだ。
酎ハイを注文すると普通にタカラの缶酎ハイがコップとともにドンっと置かれる。身も蓋もない。だが、それがいい。豚足に続いて、絶妙な焼き加減の焼餃子、優しい味の辛くない麻婆豆腐、ぼくでも作れそうなもやし炒めと、次々にやってくる。とびきり美味いわけではないけれど、酒のアテには充分で、とにかく居心地がいい。テレビから、よくわからない深夜帯のバラエティの音が小さく漏れてくるのもいい。
ヤンキーのあんちゃんもスナックのママも、地元の風俗店で働いている人たちも、スーツを着た営業マンも、作業着姿のおっちゃんたちも、この店ならば自由に、いたいようにいることができる。ぼくも江尻さんも、いろいろな人が流れ着くこんな「場末」が大好きなのだ。辺境であり周縁。いわきもそうで、小名浜もそうで、この店もそう。たぶんウイグルもそうで、キルギスもそうなのかもしれない。
巨大ななにかとなにかがぶつかり合う狭間で、大きなうねりに翻弄され、右往左往しながらも、そこに生きることを楽しもうとする人たちが場末には流れてくる。血が混ざり、味が混ざり、多様な有象無象がグルグルと渦をつくる、そう、潮目。ぼくたちは、そこでいろいろな人たちに会える。自分とは異なる見方で世界を捉える人たちに。


ある部族の祭り。全員が騎乗している(江尻さん撮影)

酔いが気持ちよく回ったころ、酔いに任せて江尻さんに聞いた。なんでまた、それほどまで自分と違う世界を見ている人たちに会おうとするのかと。

酎ハイを飲みながら江尻さんは言う。「やっぱり、オレ、一度死んでるんだと思うんです。父親が亡くなったとき。だから余生なんですよ、たぶん」

ぼくは、江尻さんが早くにお父さんを事故で亡くしたという事実は知っていた。江尻さんの書いた文章に、たった一度だけ、そのことが書かれていたからだ。ぼくは、その話をちゃんと質問して聞かねばと思っていた。それを察して江尻さんのほうから話してくれた、そんな感じがした。

江尻さんがお父さんを亡くしたのは高校1年生の時だった。「もうあのころは、オレの人生といえば親父の跡継ぐことだけでしたから。醤油屋を継いで、親父と醤油作って、そして将来は自分の子どもと作る、オレの人生はそれだけでいいんだって思ってましたから」

江尻さんのお父さんは、まさに一家の大黒柱だったそうだ。豪放磊落を絵に描いたような人で、面倒見がよく、多くの人に頼られていたと江尻さんは語る。その柱が、ある日、前触れもなく引っこ抜かれた。人生の指針であり偉大な目標であった父を失った江尻さんは完全に希望を失ったという。自分の人生は終わったと。でも、半年ほどすると「落ち込むのに飽きて(笑)」、でっかい花火あげて人生変えたい、なんでもいい、がむしゃらになりたいと思うようになったそうだ。だが、何をするにも金がない。仕方なく、唯一の自分の所有物である教科書で遊んでいたら、ついぞ東大に合格してしまったという。

それからの人生を、「やりたいことを書き出して片っ端からやってきた人生」と江尻さんは言う。父の死を乗り越えようというのでも、死を受け入れようというのでもない。全く新しい自分をつくることで、自分を支えようとしたのだろうか。

自分とは違う世界の捉え方をする人たちに会うにつれ、江尻さんは、世界はいくつも存在するという感覚になったという。「自分とはまった違う捉え方で世界を認識してる人と会うと、その人にしか感じられない別の世界があるとしか思えなくなってくるんですよ。つまり、その人が見てる世界と、オレの見えてる世界は違うってことですよね」。

人によって意識するものは違っている。だから、目の前になにか物体があったとしても、だれかには見えていて、別のだれかは見逃してしまう、なんてことも起きる。人間が持つ心の次第で、世の中の見え方はガラリと変わってしまうし、その人が見ている世界と、私が見ている世界は同じではない。つまり、目の前の世界を観察する人の数だけ世界は存在するということかもしれない。

江尻さんは続ける。「可能性の数だけ現実があるって話があって、オレがどこか知らない町に行った分だけ、知らない人と話した分だけ、もっと言ったら些細なひとつひとつの選択の数だけ自分が増えるような感覚なんです。誰かと出会ってその町に定着した自分、どこぞで職人になってる自分、あの子と結婚しちゃった自分だっているかもしれない。全国を巡ったときの90冊の日記を見返すと、ものすごい数のオレがそこにいるんですよね」

そこまで聞いてハッとした。その複数ある世界の先に、江尻さんは、親父さんと今なお醤油を作っている世界を見ているのではないか。
「あのとき全部失ったと思ったけど、いるんだと。親父と醤油屋やってる自分もいるって思えるんです。親父と醤油作ってるオレはどんな顔してるんだろうって思うし、奄美で子育てしてるオレもいるし、キルギスで遊牧やってるオレもいるんです。全部つながってるんです。それがキモなんです」 そう言った江尻さんは目元をそっと拭った。そして、「いやあ、すんません」とつぶやき、酎ハイをぐいっと飲みこんだ。


小名浜の呑ん兵衛たちは、この黄色い看板に集まってくる(著者撮影)

江尻さんの博覧強記の背景に、親父さんの死があったとは考えてもみなかった。江尻さんは、民俗や歴史が好きだからキルギスに行ったり、地域の歴史のリサーチをしているのだとばかり思っていた。もちろん、そういう面もあるだろう。けれども、江尻さんは複数性の世界に生きることで、自分に見えている世界とは異なる世界を探していたのではないか。自分の領域を超え、世界を異なる見方で捉える他者と出会い、異なる世界の住人と交流し、自分を拡張し続け、そうして、父を失った悲しみを受け止めようとしてきた。それがきっと、いまの江尻さんのスタンスにもつながっているのではないか。そんなふうに、ぼくは江尻さんの話を解釈した。

そして、そう解釈してすぐ、ぼくは、自分の不明が恥ずかしくなった。江尻さんのように、一見するとポジティブになにかの活動に取り組んでいる人が、大切な人を失っていたり、なにかの困難を背負っていたりするかもしれないのに、そんなことに、ほとんど想像力を働かせることもなかったからだ。もしかしたら、ぼくが偶然に街で出会ったあの人にも、飲み会で一緒になったあの人にも、商談で嫌味を言われたあの人にも、大切な人を失った記憶があったのかもしれない…。ましてや、ここは被災地なのだ。そう思うとなんだか心が苦しくなり、酎ハイのアルコールがやたらにきつく感じた。さっき江尻さんが話していた「無反省で、そのくせなんも知ろうとしない人」に自分も含まれていると感じたからかもしれない。