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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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原発の処理水と海辺の街の生業

2023年10月9日 公開

地域の分断

福島第一原子力発電所の原子炉のなかには、今なお溶け落ちた核燃料が残っています。その燃料を冷却するために水を投入したり、建屋に地下水が流れ込んだりして、1日に100トンを超える汚染水が溜まり続けています。その汚染水を浄化処理し、大半の放射性物質を取り除いたものが「処理水」とされるものです。これまでは敷地内の大型タンクに保管してきましたが、タンクがほぼ満杯になり、処理する必要が出てきました。これまでさまざまな処理方法について有識者が議論してきましたが、タンクを増設することも、空気中に放出することも難しい、新しい技術が開発されるまで待つ余裕もないということで、国が、基準を下回る濃度に薄めた上で海に放出することを決めました。

こんな説明を、ぼくも何度もしてきた。いわきを訪れた大学生が処理水について教えてほしいと言ってきたとき。処理水報道でなにが問題なのかを整理してほしいと新人記者から頼まれたとき。震災後の課題について話してほしいと依頼されたとき。何度も何度も、同じような説明をしてきた。そのたびに、できるだけ冷静に話をしたいと思うのだけれど、自分で説明していて、なんでこんなことになっちまったんだろうと怒りが湧いてくる。

もう何年、処理水の話してきただろう。いずれはタンクがいっぱいになるなんてことは6年も7年も前から議論されていたはずだ。海洋放出がまことしやかに語られたときから、漁業者たちは「関係者の合意なしにはいかなる放出もしないと約束していたはずだ」と反論してきたし、有識者からも、漁業者や水産業者だけでなく、一般の市民も交えた対話を進めるべきだという提言がされてきた。市民からも、福島県の漁業をどのように復興させるのかのビジョンがまったく見えない、そもそも合意形成には信頼関係が必要だ、国や東電の一方的な態度では信頼関係が築けるはずがない、そんな声が上がっていた。
ところが、世論を二分しかねない問題に、国や県は進んで関与しようとしなかった。住民への説明会は数えるくらいしか行われていないし、水産業の将来的なビジョン策定を目指すような動きもなかった。ぼくが「もう何年、処理水の話をしてきただろう」と振り返るこの数年、実際にはほとんどなんも話は進んでこなかったわけだ。語ってきたのは、ぼくの周りだけだった。


震災前の小名浜港。セリをやっているタイミングでなければ誰でも入れた

遅々として進まない議論に痺れを切らしたのが、福島第一原発のある双葉郡双葉町や大熊町の町長たちだ。両町にとって、原発が廃炉されなければ真の復興は訪れない。1年でも早く原発を廃炉にしてもらいたいというのが率直な思いだろう。だが、廃炉のためには処理水を一刻も早く処理しなければいけなくなる。両町の町長は、浜通りの地区の多くの首長たちが処理水放出に懸念の声をあげるなか、放出が唯一の方法なのだから国の責任で放出を進めるべき、という趣旨の発言をするようになった。そうするほかなかったのだろう。

ここに、「海洋放出を避けたい漁業者たち」と「海洋放出を推進したい大熊・双葉両町」というわかりやすい対立構図が生まれた。同じ福島県民、同じ浜通りに生きる人同士である。原発事故は、事故そのものだけでなく、事故処理のプロセスにおいても、地域に深刻なダメージ、分断を残す。その象徴のような構図になってしまった。
よくよく話を聞けば、賛成か反対かを一言で語ることは難しく、多くの場合、条件付き賛成であったり、放出反対であっても懸念を抱くポイントが違っていたりと、賛成と反対の間のグラデーションは複雑で多様だ。いや、だからこそ対話の糸口もあるのだと思うけれど、メディアで分かりやすく賛成・反対が取り上げられ、その両者の声がSNSに持ち込まれることで、はっきりとした敵味方の構図が描かれてしまう。そして、話が複雑で込み入ったものになるほど、SNS上では議論が激しくなるものの、多くの人はその話題から離れてしまう。下手なことは言えない、中途半端な意識では当事者に迷惑がかかる。そんな思いが強くなるからだろう。

次第に、処理水について賛否を語ることそのものが難しくなっていった。「間」にいたはずの住民や消費者が語らなくなれば、処理水について考える主体は、当然、漁業者や水産業者、大熊や双葉両町といった当事者性の強い人たちか、明確な意見を持つ第三者だけになってしまう。負担を強いられる側の漁業者は、より頑なに反対を叫ぶほかないだろう。
本来は、国民全体で考え、議論し、対話を重ねたうえで最後に政治が決断すべきなのに、政治は、賛否の「間」のプロセスをぜんぶ放り投げて「決断」だけをした。その結果、反対の声を上げていた漁師たち、水産加工業者たちが孤立し、地域も分断された。SNS上には、処理水放出を反対する漁民こそが福島の復興を阻んでいる、彼らは賠償金が欲しくて反対しているんだと、そんな投稿も目立つようになっている。この状況、どうしたらいいんだろうと気が沈むことが増えた。

「処理水の話は、もういいべ」

それは親方の本音ではなく、ぼくの本音かもしれなかった。


1トンほどの魚が入る「ダンベ」。津波直後は、この青いダンベが海沿いに散乱していた