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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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原発の処理水と海辺の街の生業

2023年10月9日 公開

Y社長の話

これから福島の漁業は、いわきの水産業はどうなっていくんだろう。漁師でも水産業者でもないけれど、ぼくはずっと考えてきた。自分も小名浜という港町に暮らすひとりの住民であり、ひとりの消費者だからだ。娘が大人になったとき、自分と同じように小名浜のカツオこそ最強だと思っていてほしいし、孫の時代になっても、ここに暮らす人たちが、港町に暮らすことを存分に楽しんでいてもらいたい。でも、そんな当たり前の願いすら、どこかに「邪魔」が入るようになった。


小名浜の民の誇り、カツオ。これがなければ夏が始まらない

以前、地元の水産会社のY社長を訪れて、イベントについて雑談していたときにも、同じような「邪魔」が入ったのを、ふと思い出した。それまでゲラゲラ笑いながらイベントについて話をしていたはずが、処理水の話題になり、思わずシリアスな感じになってしまったのだ。Y社長はこう言っていた。息子や孫に会社を継いでもらいたいとは思っている。でも、素直に「継いでほしい」と思えるだけの魅力や将来性が、今の仕事にあるだろうかと。
普段はあまり見せない弱気な表情に驚いた。Y社長は、いわき市内で長く鮮魚の販売や加工に関わってきた方だ。この数年は、次々と新しい商品を世に送り出し、メディアに登場した時にもポジティブな発信をしていたので、そんなに気苦労が多いのかと余計に驚いたのだ。

「科学的に安全だってのはオレにも分かりますけど、流してもなんのメリットもないわけじゃないですか。流さないでもらったほうがいい。だれだってそう思ってますよ。それに、原発事故のあと、これだけ長い時間かけて注文がじわじわ戻ってきたわけじゃないですか。わざわざネガティブな話題つくりたくないですよ」

処理水の放出で強く懸念されているのが「風評の再発」である。処理水に含まれる「トリチウム」という放射性物質のことを、ほとんどの国民が詳しくは知らない。処理水放出が始まれば、連日報道も繰り返されることになるだろうし、不安に思う消費者も生まれるはずだ。市場やスーパーのバイヤーたちも、福島県産品を再び避けるようになってしまうかもしれない。せっかく11年かけて少しずつ売場を取り戻してきたのに、それが無駄になってしまう。
そうした経済的被害を救済しようと、これまでも、国や県、東電、復興庁などが中心になってさまざまな支援が実施されてきた。新商品の開発費用を支援したり、オンラインショップの開業のためのアドバイザーを派遣したり、商談会を開いたり。あるいは、コンサルタントを派遣して経営再建を図る支援もあれば、テレビ番組、新聞や雑誌とのタイアップ広告などの費用が無料になるなんて支援もある。福島県の漁師や水産業者は、他県の同業者よりも圧倒的に手厚い支援を受けていることは紛れもない事実だ。
ところが、その支援が「歪み」をつくってもいるということを、知る人はあまりいない。メディアに「取り上げてられている」のではなく「取り上げてもらっている」という歪み。商品が「売れている」のではなく「売り場に置いてもらっている」という歪み。それが、Y社長のような現場の人たちの生業に、意外な形で傷を残しているようだった。

「ウチに納める価格、もう少し安くして。どうせ賠償金でペイできるんでしょ?」
「復興のためにわざわざ福島の魚を入れてやってんだからね」

実際に、売り先からいわれた言葉だそうだ。もちろん、そうした声はごくごく一部で、ほとんどの客先は良心的に取引を続けてくれているそうだが、心ない一言に、Y社長は商売人としての尊厳を傷つけられてきた。そして、原発事故を引き起こした東電や、原子力政策を長年続けてきた国から、つまり加害者から支援を得なければ再生が難しいという状況もまた、この地で商売を続けることの困難をさらに強いものにしている。

「いろいろな形で支援してもらえて、たしかに恵まれてると思います。でも、原発事故の前はそんなんじゃなかったですよね。品質が良ければ評価されるし、買い叩かれて痛い目見ることもあれば、強気で在庫したものがあとになって高値で売れたりすることもある。切った張ったじゃないですけど、そういう思い切りのいい商売ができてたはずなんです」

テレビ番組の取材だと思ったら、その費用が補助金でまかなわれていたり、雑誌の取材がじつは東電が買い上げた広告ページの取材だったり、味が評価されて取引が始まったのではなく、購入費が支援される取り組みだったり。そんなことが、いまも続いている。
ぼくも、震災後にかまぼこメーカーで広報をしていたからよくわかる。
メディアに取り上げられて売り上げが上がることは喜ばしいことだし、どんな場でも利用して、ひとりでも多くの客に商品の魅力を伝えたいと考えるのは商売人としては普通のことだ。けれど、水産業者たちは、この11年間ずっと、社会から「支援が必要な人たち」という立場に押し込められ、支援の手を離れて、自ら立つということが、経営的にも、社会的にも難しい状況だった。それが、当たり前に商売を続けてきた人たちの尊厳を傷つけてきた。そういうことではないか。


小名浜港にもよく水揚げされるサバ。干物にしたり、味噌煮煮になっている

「息子になんって伝えようかって思うんですよ。この商売はおもしろいからやってみろって言いたいじゃないですか。でもなんか自信が持てないですよね。国や東電からの支援を受け続けながらの商売ですから。子どもに自信を持って継いでくれって、今のままじゃ言えないです」

そして、最後に、Y社長はこんなことをつぶやいた。

「震災前には、もう戻れないってことなんですよね……」

返す言葉がなかった。どんな体のいい言葉を返したところで、Y社長の無力感を埋め合わせることはできないだろうと思えた。ぼくも、「うーん……」と唸ることしかできずにいたが、そんなぼくを見かねたのか、Y社長は「まあでも、やっぱいい商品つくっていくしかないですよね」と締めくくった。温厚に見えるY社長は、そうして何度も何度も、深い煩悶を繰り返しながら、最後はその「いい商品をつくるしかない」という結論に辿り着き、自らを奮い立たせてきたのかもしれない。
それ以来、何度かY社長のもとを尋ねたけれど、弱気な発言を見せることはなく、精力的に新商品を開発し続け、たびたびメディアにも登場している。けれど、あの時Y社長が一瞬だけ見せた「弱さ」は、メディアを眺めているだけでは見えてこない真実のように、ぼくには思えた。