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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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若き作家と、常磐炭鉱の語り得ぬ念

2023年11月25日 公開

命が眠っている土地で

ようやくわたしの人生が始まった。だれかの語られ得ぬ言葉を聞いたことで、あさか自身もまた、己の語り得ぬ言葉を語ることができたということかもしれない。だとすれば、過去のトラウマに向き合ったり、言葉にできない悲しみや怒り、絶望に向き合おうとする時に必要なのは、他者の語りだと言っていいかもしれない。人は人の話を聞き、語り、語られ、自分を再び立ち上げていく。語っていいんだと気づいたり、似たような思いを抱えていたことがあると勇気づけられたり、これでいいんだと納得したり。Sさんも、そうしてあさかたちに突き動かされて、語れなかったものを託したのではないだろうか。

「自分の業にケリをつけないと、外に向かえないと思っていました。わたしはわたしの人生を始めるよって思えて初めて、自分自身が持っている体質というか、本来の役割が出てきた感じなんですよね。自分で作品をつくるより、本来はつなぎ役のような、他者へのサイクルをつくるようなタイプだったと思うんです。でもあのころは、自分に向けて作品をつくろうとしていました。これからは、どうでしょう。個人として何かを表現することはあると思うけど、自分に向けた作品はもう終わり。もっと他者の器を満たすようなことをしていきたいと思います」

人はだれしも自らの器を持っている。器の底からは水が湧き続けている。けれど、同時にその水を使って生きているので満杯にはならない。水を増やすには他者の関わりが必要だ。だれかの話を聞く。だれかに話を聞いてもらう。あるいは、地域にある物語をめぐる。それを楽しむ。そんなことを通じて、だれかから水をもらい、そこにさらに自分の水が湧くことで、やがて水は溢れ始める。溢れた水は、今度はだれかの器を満たす水になる。自分の器からはみ出す水で、だれかの器に水を注ぐのだ。


白水地区を流れる白水川の上流。川底の崩落を防ぐため、コンクリートで川底が舗装されている

白水に通って、毎日のように泣き喚いていたあさかの姿はなかった。あの頃は、あさかの話はもっと混濁していて、感情的で、揺れていた。それを危ういなと思ったこともあった。今は前よりもすごく頼もしく感じる。

あさかがいま取り組んでいるのが、いわき市各地をめぐる自転車のツアーコースの開発だそうだ。観光名所はほとんど回らない。いわきに暮らす市民が自らツアーコースを作り、それをめぐるというローカルツアーである。だから、コースの開発というよりは、コースを自分でつくってくれるツアーガイドの育成ということになるだろうか。

コースをつくるには、自分とその土地との関係や歴史を遡る必要がある。ガイドたちは、初恋の場所、因縁の場所、お気に入りの場所や、だれかに見てもらいたい景色を自分で再発見し、順序を考えて再構成し、さらに、そこでなにを語るかを考えていかなければいけない。それは、自分と再び出会い直す、自分を語り直すということに他ならない。ツアーコースを自分で作ってもらうこと、それ自体が「語り得ないものを語ること」なのだ。

あさかは言う。「すべての人に物語があると思います。その周りにもあるし、そこに至るまでのあいだにも物語がある。それを知ることって、とっても大事だと思います。だれかの話を聞くうちに、あっ、わたしのばあちゃんここにいた! とか、じいちゃん、こんなところに! とか、そういうものが見つかっていくんです。そしてそれもまた、自分の物語になっていくんですよね」

あさかが最初に言っていた「業」。業は語ることで物語になる。だけれど、語れるようになるには元気が必要だ。だれかのそばに立ち、地域のなかに身を置いて、人の語り、土地の語りに耳を傾け、自らも語ることで、力を分け合っていけたらいい。

そうだなあ。みんなで湯ノ岳の麓をサイクリングしてみるのはいいかもしれない。疲れたら道端の岩に座り、祖父が読んだ本を朗読してもいい。気になるものは写真を撮って、みんなで見せ合い、炭鉱町の集会所に立ち寄って、地元の父ちゃん母ちゃんたちと杯を重ねるのもいい。その先にきっと、まだ会ったことのない祖父も見つかる。


川平集会所での飲み会。娘を連れてよく遊びに行かせてもらっていた

そうそう、小名浜の工場地帯もサイクリングにはぴったりだ。瞼に親しい湯ノ岳を見ながら、かつて小松家の畑があったという場所を訪ねたい。父によれば、小松家はもともとは農家だったらしい。父が馬の背に野菜を乗せて歩いた通りをぼくも歩く。夕暮れ時にまちに響く工場のサイレンを聴きながら線路沿いを走ろう。一言も言葉を交わさなかった父方の祖父だが、そこで出会えたら、きっとなにかを語りかけてくれそうな気がする。

若いまちいわき 花ひらくいわき

街ごとに光はあふれ

炭鉱(ルビ:やま)に工場に こだまする歌

ほほえむみのり いわき

ほほえむみのり いわき

みんなで呼ぼう 幸せをここに

いわき市歌が誕生して50年以上が経過した。いわきで、石炭はもう掘られていない。けれども石炭は地中深くにあって、静かに眠っている。石炭とは命であった。そうなのだ。命が眠っているのである。ぼくたちは、それを燃やして生きてきた。そして今なお、その地を踏み締めて生きている。

(本文中、バナー写真すべて:著者/バナーデザイン:渋井史生 PANKEY inc.)

(つづく)