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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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重なり合う〈ふるさと〉

2024年1月15日 公開

木田家の引っ越し

 青森県の山あいの温泉町、大鰐(おおわに)出身の修ちゃんは、もともとは東京のキー局で記者をしていた。若くして官邸記者クラブに入り総理番を務めたあと、政治部、社会部と渡り歩いたという。記者の出世頭のようなキャリアだが、なぜかあっさりとテレビ局を辞め、当時は交際中だった妻の「きゅうちゃん」こと久恵さんと共にいわきへと引っ越してきた。2015年ごろだったか。ぼくらはいつの間にか出会い、そしていつの間にか酒を飲むようになり、そしていつの間にか家族ぐるみの付き合いをするようになった。そう、本当にいつの間にかすぎて、修ちゃんの来歴もじつはほとんど知らない。だから今回、話のついでに聞いてみることにした。


木田家の次男坊を抱っこする筆者(撮影:木田久恵)

 修ちゃんがキー局に入社したのは2010年4月。最初の1年目は政治部の内勤で、映像を編集したり、字幕スーパーを書いたりという仕事を任されていたそうだ。その1年目の最終盤の2011年3月、東日本大震災が起きた。修ちゃんは居ても立ってもいられず、上司に「現地に行かせて欲しい」と願い出て、震災直後の4月から5月にかけて福島市で取材を続けた。その後、東京へと戻ったが、常に頭のなかには福島のことがあったという。

 「2015年くらいからですかね。ニュース見てるだけじゃ福島のことがよく分からなくなってたんです。あのころってめちゃくちゃ複雑だったじゃないですか、被曝の問題とか避難の問題とか。新聞やテレビだけじゃよくわかんない。暮らしてみないとわからんないだろうなって。ちょうど、きゅうちゃんも福島に行きたいって気持ちになってたみたいで、そんで二人で行っちゃうか!って」

 記者としての被災地への思い入れと、「行っちゃうか!」というノリがなんだか釣り合わない。骨太なドキュメンタリーをつくり、復興のあり方に鋭く疑問を投げかけながら、どこか本人は飄々としているのだ。なんというかギャップが大きい。もともと高校までラグビーをしていたというだけあり身長は180センチくらいあるのに、普段のデスクワークのせいか猫背で、少し癖のある髪とメガネとあいまってかなり「文系」っぽく見える。そうそう、いわきへやってきたあとも、キャリアを振り回すことなんてなく、着物スタジオのカメラマンとか、フリーペーパーの編集者とか、職を転々としてた。強い信念や目的があって福島に来たように思えて、実はとても無計画だったんじゃないか……。

 こんな夫に(というとめちゃくちゃ失礼だけど)振り回されてきた妻、きゅうちゃんはさぞかし大変だったことだろう。きゅうちゃんは、どんな思いで東京を離れ、福島にやってきたんだろうか。「修ちゃんに振り回されて大変でした(笑)」なんてコメントがもらえるのではないかと期待して話を聞くと、きゅうちゃんは意外なことを話し始めた。

 「東京で働いてるとき、社会人向けの研修プログラムに参加しました。2泊3日のフィールドワークを2回、4ヶ月くらいのやつなんですけど、いろいろなことが福島で起きてるのに、なにもできてないのが嫌だな、なにかしたいと思ってたんです。それでいわきの北の南相馬に行ってみて、しばらく現地の起業家のところでお世話になってました。やっぱりネットとかで見てたものとは違ってましたね。なんだろうなあ、勝手にかわいそうな人たちって思ってたのかもしれない。でも、そこで過ごすうちに、ここの人たちの輪の中に自分も入りたい、そこで暮らしてみたいって思ったんですよね」

 きゅうちゃんは福島県の大玉村の出身だ。地元の福島で起きた震災だが、自分は東京で暮らしていて、日々の仕事もある。具体的なアクションも難しい。そんな自分に焦りや違和感を感じていたのだろうか。だがきゅうちゃんは、まず行ってみちゃうわけである。とにかく短期的にでも現地に行き、そこで生きる人たちと触れ合ってみる。だからこそ、そこで「裏切られた」のだろう。被災後の、あらゆるリソースが足りないなかでも、日々、楽しく生きようとする人たちによって。外から見たら、きっと大変な思いをしてるだろう、助けが必要だろうと思って現地に入ったのに、「被災者」と呼ばれる人たちから逆に力をもらってしまうという、ちょっと捻れた体験。いや、こういう話は、なにもきゅうちゃんに限った話でもないのかもしれないけれど。

 「じつは、最初にお世話になっていた起業家の補佐をする仕事に応募したんですけど、落ちちゃって。でも、現地に行きたいから会社辞めるって決めました。ちょうどそのころ、修ちゃんも会社辞めたいって言ってたし、二人で辞めて行っちゃおうかって」

 夫婦揃って「行っちゃおうか」っていう言葉が出てくるところに、二人の相性のよさ、共通するフットワークの軽さを感じる。けれども、その「行っちゃうか」の前に、短期的にせよ二人とも現地で暮らし、仕事をしているという事実にも行き当たる。それだけ「福島でなにかをしなければ」という思いが強かったということだ。軽さと重さが不思議と同居するところが、なんとも二人らしいなあとも思う。

 ただ、やっぱりなんだか抜けているところもあって、二人は当初移住を計画していた南相馬の小高ではなく、いわきに引っ越してきた。当時、小高に夫婦で暮らせるような賃貸住宅がほとんどなく、また、二人とも仕事を失ったばかりだったため、そもそも家が借りられなかったのだそうだ。修ちゃんは「小高で探した後、いわきでも家探したんですけど、ほんと全然決まんなくて、ベニマル(福島県内に本社のあるスーパーマーケットチェーン)の駐車場で呆然としたことがありました」と苦笑いしながら振り返る。やっぱりこの二人……まじめなのか、適当なのか、全然わからない!