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連載読みもの

小松理虔「小名浜ピープルズ」

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重なり合う〈ふるさと〉

2024年1月15日 公開

ふるさとは動く

 ある地域に根差し、その場所を離れることなく何十年も暮らしてきた人たちにとって、ふるさととは、個人の尊厳に関わるものであり、そこから切り離されてしまったら、それはもはや自分自身を傷つけられるのと同じだ。その意味で、自分も、ふるさとも「たったひとつ」である。と同時に、ふるさととは、土地と出会い、人と会い、暮らした先に新しく生まれるものでもある。一つのふるさと、複数あるふるさと、そのどちらもふるさと。そう考えることは、やっぱり難しいだろうか。きゅうちゃんにも聞いてみた。


かつて帰還困難区域だった富岡町夜ノ森の桜

 「私にとっては、ふるさとっていうと大玉村で生まれ育ったっていうのはあるけど、今はもうそこだけじゃない気がしますね。うん、いわきはふるさとな気がする。福島に住んでる時間のほうが長いし、福島で家も買ったけど、ここにはずっといる気がしないし、子育てにはいいなと思うけど、それ以降はわかんない。いや、むしろいわきにはずっと住む気でいたんだけどな……」

 そうか、住んでる時間の長いからふるさとになる、っていうわけでもない。後から振り返ったときにふるさとが生まれるって修ちゃんが言ってたのと似てるな、やっぱこの二人、夫婦だわ、なんてことを思いながら、きゅうちゃんの語りに耳を傾ける。

 「今やってる仕事もおもしろいんだけど、どこかでお店もやりたいなって思うし、自分の場所欲しいなって思ってるんです。なんの店やるかはわからないけど、やっぱお店はやりたいな。今の仕事も誘われのがきっかけでしたし、いわきのアートプロジェクトに関わったのも誘われたからだし、いろんなことが誘われて始まってる気がしますね」

 「ってことは、そこに知ってる人とか、友だちとか、顔見知りがすでにいるってことだね」。ぼくはそうきゅうちゃんに返しながら、こんなことを考えていた。ふるさとっていうのは、そこにある「土地」に対して抱く思いでもありながら、人とか、関係とか、コミュニティみたいなものに対して浮かび上がるものでもある。

 「そうですね。自分たちの中では、こうしようっていうより、まず行っちゃおう、ですね。そこで出会った人たちが、いろいろなことに誘ってくれるし、いろいろなことを教えてくれる感じがします。なにか『これだ!』って決めつけなくても、まあ過去にはいろいろあったけど実際なんとかなってきたし、なってきてるから。楽観的っていうか、そこに行けばなんとかなってきた。いつの間にか」

 うん、うん、と頷いて、自分たちの過去を、改めて認めてあげる。そんな素振りをきゅうちゃんはしていた。

 まあ、なにもなかったはずはない。それでもこうして「後から振り返ったとき」に、あの出来事にはこういう意味があったんじゃないか、きっとあのトラブルにも、これこれこういうプラスの面があったんじゃないかと、その都度解釈を更新して、今を肯定してきたのだろう。そのスタンスは、「掘ってる間、人の話を聞いてる間、作ってる間、自分も更新されていくし変わっていく」という修ちゃんの取材スタイルに、似てなくもない。新しい土地に住み、新しい人たちに出会い、語り、自分も成長し、変化し、過去の自分を捉え直していく。修ちゃんにも、きゅうちゃんにも、なんだろう、流れていくもの、変化していくものへの信頼感があるのかもしれない。


浪江駅前。数年後、全く新しい駅舎が完成することになっている